ハロ「ハロー! アムロ! ハロー! アムロ!」
アムロ「ハロ、今日も元気だね」

しかし、実際にはそれらと並行する形で、子ども向けコンテンツ文化が狂騒的であった70年代中盤までへの懐古主義、原点回帰主義が、数的には主流であったことは忘れてはならない。
それは一つには、70年代中盤に襲い来たオイルショックと、この70年代終盤の第二次オイルショックが、波状攻撃で石油素材に依存する子ども向けコンテンツを直撃し、実際に放映されるアニメや特撮の新作が、ことごとく元気がなく、勢いも豪華さも欠けた状態であったことも遠因かもしれない。

実際に70年代後半には、日本現代企画、ピープロダクション等の多くの子ども向け番組制作会社が新作を送り出せなくなっており、基礎体力があった東映円谷プロ、タツノコプロなども、オリジナル新作は数を減らした上で、どれもこれも、かつてのテンションとクオリティを保てなくなっていた。
ただ、東映だけは、この時期松本零士アニメを次々に手掛けて勝ち組に入るが、その直前期に東映は、アニメサイドが永井豪氏と、特撮サイドが石森章太郎氏との、それぞれの連携関係に終止符を一度打っており、そういう意味では松本零士ブームはまだ僥倖であっただけであるとも言える。

中佐「よりによって、ジオンの船につけられるとは! ほーこれか! さ、さすが我が連邦軍の新鋭戦艦だな。この艦とガンダムが完成すれば、ジオン公国を打ち砕くことなど雑作もない」

シャア「わたしもよくよく運のない男だな? 作戦が終わっての帰り道で、あんな獲物に出会うとは……。フフ……向こうの運がよかったのかな?」
ドレン「はい、シャア少佐……。しかし、あんな辺地のサイドに連邦のV作戦の基地があるのでしょうか?
シャア「あるよ……。我がザク・モビルスーツより優れたモビルスーツを、開発しているかもしれんぞ」

ドレン「で、では連邦軍もモビルスーツを?」

シャア「開発に成功したとみるのが正しいな」

リメイク・続編・原点回帰路線への安易な流れ

そこで製作者、企画者たちの多くは、かつての栄光と数字に依存せしめんと、物によってはとても安易なモチベーションで、続編、リメイク、シリーズの原点回帰作などが、ヤマトブームに便乗する形で「正義と愛とロマン」を謳い上げながら、跳梁跋扈していたのも、70年代後半から、80年代初頭までの子ども向けコンテンツ文化の大きな特徴であった。

『ウルトラマン80』(1980年)『仮面ライダー』(1979年)『鉄腕アトム』(1980年)『太陽の使者 鉄人28号』(1980年)『ルパン三世』(1977年)『サイボーグ009』(1979年)『科学忍者隊ガッチャマンⅡ』(1978年)といった、ビッグタイトルのリメイクや新シリーズ化から始まって、『あしたのジョー2』(1981年)『新・エースをねらえ!』(1978年)『新・巨人の星』(1977年)等の、スポ根アニメの続編企画の多くもこの時期に集中しており、『電子戦隊デンジマン』(1980年)『氷河戦士ガイスラッガー』(1977年)『ジェッターマルス』(1977年)も、それぞれ『秘密戦隊ゴレンジャー』(1975年)『サイボーグ009』(1966年)『鉄腕アトム』(1963年)の、入れ物とタイトルを変えたリメイクの先駆けだと受け止める解釈も可能であった。
このリメイクブームの真打としては、日本TV文化のヒーロー番組の始祖『月光仮面』(1958年)が、1981年ににっかつニューアクションの担い手でもあった澤田幸弘監督によって、劇場用オリジナル実写映画『月光仮面 THE MOON MASK RIDER』として公開されるに至った。

多少暴力的な因数分解をすれば、この時期の子ども向けコンテンツの多くは「マイナー物」「松本零士物」「リメイク・続編物」の3種に分類することが可能であり、今回の連載の主題である『機動戦士ガンダム』(1979年)は、この3種の中では、実は「マイナー物」に属する立ち位置から生まれたミュータント(ニュータイプ?)作品であったとも言えるのである。


デニム「3台目もモビルスーツだ! まだあの中に何機もあるかも知れんぞ!」
ジーン「たたくなら、今しかないな……」

ジーン「シャア少佐だって! 戦場の戦いで勝って出世したんだ!」

デニム「おいジーン! 貴様! 命令違反を犯すのか、やめろ、ジーン」

日本サンライズ(現・サンライズ)制作と、玩具会社クローバー提供、名古屋放送(現・名古屋テレビ放送)放映、富野由悠季監督による連続テレビロボットアニメ作品は、1977年の『無敵超人ザンボット3』、1978年の『無敵鋼人ダイターン3』と続いており、これらは作品的には傑作だが、スポンサーの市場力量や制作局が地方局であったこともあり、決してメジャーなヒット作とは言えない数字と認知度に終始していた。
そして、同じ枠の3作目で制作放映されたのが、『機動戦士ガンダム』であったのである。

ようやく『機動戦士ガンダム』の話題に辿り着いたが、ここで今一度、この時代を別の角度から俯瞰しなおしてみよう。いつの時代でもそうだが“時代”とは、明確に一元化された一軸だけで測れるものではない。今回の主題では、この70年代終盤を語るときに外せない映像文化の流れとして、「SFブーム」という現象があったことに触れずして、『ガンダム』を語るわけにはいかないからだ。

次回シン・機動戦士ガンダム論。

第2回『『ガンダム』前夜の1978年・2』

『ガンダム』前夜の日本の「ロボットまんが」時代の分析をもうしばらく行います。

君は、生き延びることができるか。

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