前回は『犯罪・刑事ドラマの40年を一気に駆け抜ける!(70年代をナメるなよ)』Part11』
だが『西部警察』(1979年~1984年)のような、派手な銃撃戦もカーチェイスもない、下町人情で描く人間模様クロッキー的刑事ドラマだと、むしろ作風はTBS・東宝(実際はテレパック)の方が社風に合うようで、そのコンビで製作された『こちら本池上署』(2002年)は、高嶋政伸演ずる警察署長を主人公にして、『大江戸捜査網』(1972年)『HOTEL』(1990年)で苦節感が長かった横田与志による群像絵巻が、上手く機能した佳作に仕上がった。
結果『こちら本池上署』は、同局同時間帯の看板番組『水戸黄門』と、シーズンごとに住み別ける形で、三年間第5シリーズまで放映された。
そのほかでも、かつての『特捜最前線』(1977年~1987年)路線を受け継ぐ刑事物をと、東映・テレ朝で企画・製作されたのが、結局20年を超える長寿シリーズへと成長した『はぐれ刑事純情派』(1988年~2009年)なのだった。
この作品は、ある意味で『特捜最前線』での、大滝秀治や藤岡弘、のもたらす脂と汗が混じった執念のような(主に脚本家・長坂秀佳の)熱く煮え滾るようなテイストを捨て、その代わりに80年代に広く求められるようになってきていた、藤田まことの国民的俳優イメージ(主にそれは『必殺シリーズ』(1972年~)で培われてきたものではあるが)をそのままこめた、安浦刑事のもつ、「優しさ・厳しさ・家庭的・そして(タイトルにもある)純情さ」などを番組カラーの前面に押し出し、『特捜最前線』との差別化に成功。
もはや日本俳優界の重鎮になった梅宮辰夫や加藤茶などのベテランや、吉田栄作、西島秀俊といった「時代の旬の若手俳優」を随所に配置しながら、実に1988年の第1シリーズから2009年のファイナルまで、こちらも『特捜最前線』に負けない20年以上のロングラン作品に成長した。
文芸は、日本犯罪ドラマ黎明期の名作『ザ・ガードマン』(1965年)の流れともいえる人事で石松愛弘と高久進を迎え、監督は『特捜最前線』で長坂脚本と数多くコンビを組んで、本作には事実上のスピンオフ参加になった天野利彦や、刑事ドラマ監督としてはこちらももう毎度おなじみの村川透・吉川一義を中心にして、演出ローテーションを組んだ。1989年には、脚本・石原武龍、監督・吉川一義で、劇場版『はぐれ刑事純情派』が制作上映されている。
本作は、『特捜最前線』に続く形で、国民的刑事ドラマとして愛されたのだ。
そう、皆さんそろそろお気づきであろうか?
馬鹿を集めた佃煮で作った興行屋の東映という会社と、お抱え放送局のテレ朝は、延々延々、いつまでもずっと「刑事ドラマ」と「時代劇」だけを、作り続けるのである。
世間や社会がどれだけ、トレンディドラマだの、アラフォーだのに傾こうが、東映は、延々「過去にヒットした刑事ドラマの焼き直し」を、制作し続けるのである。
しかし「継続とは力なり」と言う。「苔の一念岩をも通す」とも言う。
ここから先の話は、そんな「馬鹿の煮凝り」東映という会社が、世間の流れもトレンドも、流行も常識も無視して、延々と同じ作業を続け突き詰めた結果「世間・社会の側が、勝手に一周して戻ってきた」という、素敵なお話です。