そして、白土三平の忍者漫画が、常に中世日本の人種差別問題や社会問題を取り上げていたように、『009』も、当時世界の諸問題の中心であったベトナム戦争を中心にした「反戦」をテーマの主軸にすることを提案した。

『サイボーグ009』『ベトナム編』より

何週間か経って、下描きを持ってきてくれた石森が「反戦をテーマに」ということを言い出した。それで山部徹郎も「それはいいね」と、「それでまとめてくれ」といった。

メディアファクトリー『サイボーグ009コンプリートブック』桑村誠二郎・談

世界中の各国を代表するかのような00ナンバーサイボーグという設定も、反戦と戦争が、国境という枠を超えた、人類共通の試練と問題であったからだというエクスキューズを与えれば簡単に意味が通じる。「そこ」ではまだまだ石森氏の中では、登場人物たちは群像に過ぎず、だから今回のコラム冒頭での、濃い石森マニアのマダムとのバカ話で出てきたように、00ナンバーサイボーグたちの名前は、ひどくいい加減に作られている。

しかし、石森SFテイストとアクション路線は、単行本で読めば、その高次元の融合に感心させられるが、当時の平均的なコンセンサスレベルで言えば、やはりSFは難解だ、分かりにくい、というリアクションが編集からは反ってきてしまう。
とにかく、初動では、抜け忍アクション漫画に徹し、そこにサイボーグの悲哀を入れてみた『暗殺者編』『放浪編』や、反戦テーマを前線に押し出した『ベトナム編』が展開されたが、しかし、石森氏にSF者としての先見の明があり過ぎたのか、抜け忍最終決戦となるべく描かれ始めた『ミュートスサイボーグ編』は、編集サイドからは「難しい」と難色を示され、結局打ち切りの憂き目にあうのである。

(『少年キング』の)二代目編集長に元『少年画報』編集長の金子一雄が就いたことから悲劇が起きた。この人の哲学は「漫画はわかりやすくということをひとつのセオリーとしてやってきた」と。そんなことで「石森の『009』がわかりづらいのでやめよう」ということを言い出した。

メディアファクトリー『サイボーグ009コンプリートブック』桑村誠二郎・談

そして、結局『009』は、掲載紙を講談社、秋田書店、虫プロ、小学館と、次々に拠点を移して、ジャンルは「反戦テーマ抜け忍アクション」から「人類愛SF抒情詩」へと変わっていくのである(余談だが、ここで拠点を移したことによる変化は、テーマだけではなく、劇中に登場するヒロイン、フランソワーズこと003の性格描写にも顕著に表れている。初期の『009』では、登場人物全員が戦闘用サイボーグという基本設定があったがゆえか、003も比較的おてんば娘として設定されていて、それゆえ『ベトナム編』や『ミュートスサイボーグ編』等で描かれる、009へのやきもちっぷりなども、可愛らしくて魅力ある勝気な少女だったが、後々の003は「石森ヒロインの集大成」を求められたため、どんどん聖母像へと変化していった。筆者は個人的には、嫉妬深くて男勝りで、弱虫で感情的な、初期の003の方が好きである)。

と。ここまでは、石森サイド視点から見た時の「『009』論」であり、ここまでは既に009ファン、石森ファンの中でも、指摘する人も少なくないかもしれないが、そもそも当初の『009』は、少年画報社の『週刊少年キング』のコンテンツの一つであり、視点をここで少年画報社サイドに移してみると、実はまた違った側面での『009』の立ち位置が見えてくるのである。

仮にここで、『009』の企画骨子を、多少恣意的であるが、筆者が主観で書き記してみる。「主人公は、元少年院に入れられるような“社会的悪の少年”で、少年が脱走した先で、謎の組織にスカウトされたところから物語が始まる。悪の側から抜け出してきた、個性豊かな性格と、一芸に秀でた特殊能力をもった戦士達(ヒロイン一人含む)が主人公と共に、お揃いのユニフォームに身を包みながら、一つのチームとして、悪と戦い正義を守っていこうとする、タイトルが数字で終わる作品」こんなところだろうか。
この設定で連載が開始された『009』が、「内容が難解過ぎる」という編集長判断で『少年キング』を打ち切りにあったのが1965年。その後『009』は他誌に移り、1966年からは東映動画でアニメ化もされ、1968年にはテレビ放映もされ、大ヒットコンテンツになり、要するに少年画報社側は、みすみす大物を自らが逃がしてしまったという大失態をやらかすのだが、その『009』ブーム絶頂期の頃の、少年画報社の週刊少年キングで、一つの漫画の連載が始まることになった。

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