前回は「『シン・機動戦士ガンダム論!』第18回『ガンダムブームのピークから終焉へ・1』」

『ガンダム』の1982年

1982年初頭は、本連載第9回から第15回『ガンプラを語り尽くせ!』で述べたように、講談社『コミックボンボン』での『プラモ狂四郎』連載開始や、千葉県大型店舗でのエスカレーター事故など、ガンプラ関連が過熱さをさらに加速させて、ガンダムブームから頭一つ飛び出始める現象に移り始める。

そして、富野監督は1980年から一年間テレビ版の総監督を務めていた『伝説巨神イデオン』(1980年)の映画化も決まったことで、さらに忙殺されることになり、同時に1982年からのオンエア新番組『戦闘メカ ザブングル』(1982年)の総監督も任されることが決まっていた。
結果、富野監督はここから先、『聖戦士ダンバイン』(1983年)『重戦記エルガイム』(1984年)『機動戦士Zガンダム』(1985年)『機動戦士ガンダムZZ』(1985年)と、5年連続で、名古屋放送、バンダイ提供の、関東毎週土曜午後5時30分枠のロボットアニメの総監督を続けることになるのである。

そのことへの前哨戦でもある、映画版『伝説巨神イデオン(以下『イデオン』)』へと関係一同の重心が移り始め、アニメ雑誌の特集やパロディも『イデオン』がメインストリームに移りつつあり、『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙編』公開直前の読売新聞3月2日夕刊では、一面全判を使って、フルカラーでの、『イデオン』パロディイラストレイターの第一人者だった、女性漫画家の岩崎摂氏(当時、アニメパロディ漫画の描き手のほとんどは女性であった。男性でアニメパロディ漫画で名を高めた第一人者は、ゆうきまさみ氏など)のキャラコラージュを使用した、『イデオン』映画版前売り開始告知広告が掲載され、そこでのキャッチコピーもそのままに「『ガンダム』から『イデオン』へ」であった。

アムロ「し、しまった!」
ハモン「いくら装甲の厚いガンダムといっても、これだけ近ければ持ちはすまい? そして、ガンダムとカーゴの爆発力は木馬をも……」
アムロ「ハ、ハモン……さんか?」
ハモン「本当……好きだったよ、坊や」
アムロ「うわーっ!」
ハモン「これでおしまい!?」

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