また、SFという冠は、漫画サイドであれば、既に呼称が子ども達には定着しつつある時代ではあった。遡れば永井豪&ダイナミックプロ『マジンガーZ』『ゲッターロボ』等のロボット漫画も、雑誌展開でのジャンルとしては、SF漫画という呼ばれ方をしていた形跡が残っている。

しかし、こと日本製の映像作品においては、SFという言葉の響きと相性が悪いのか、SF作家の小松左京氏は、1982年に刊行された『小松左京のSFセミナー』という書籍で、発行当時の日本のSFテレビ番組に触れ、こう記している。

アニメ界では“巨大ロボット”ものが全盛期を迎え、今日のテレビ界は、“等身大ヒーロー”と“巨大ロボット”によって占められています。どの番組を取ってきても、“等身大ヒーロー”と怪人の戦いで幕を開け、途中で“巨大化”し“怪獣”となった怪人に対し、ヒーローも“巨大ロボット”を操って立ち向かう、というパターンに終始しています。かくて、毎日、毎日、太陽の照らない日はあっても、ヒーローが闘わない日はないのが、現状の特撮テレビ番組の現状といえましょう。

集英社文庫『小松左京のSFセミナー』小松左京著

と(まぁこれは、本書執筆時点では、東映の戦隊シリーズと、東映版実写特撮ドラマ『スパイダーマン』(1978年)ぐらいにしか当てはまらないルーティンではあるのだが)とかくSF文壇は黎明期のころから、「SFが、子ども向けテレビの、怪獣やロボットのプロレスのことだと思われるのは嫌だ」というアレルギーは強く、今回主題の『ガンダム』でも、ブームになってからSF作家の高千穂遥氏による「ガンダムSF論争騒動」などといった、不毛な論戦も起きてしまったのではあるが。

では、なぜこの話題をこの流れで振ったのかといえば、『ガンダム』が成立するための環境条件として、この時期明確に「子ども向けに限らない」SF映像作品というものが、エンターテインメントのメインストリームで、ブームを迎えていたからである。

アムロ「こ、この振動の伝わり方は……爆発だ」
人々「キャァアァ!」
フラウの祖父「ジ、ジオンだ! ジオンの攻撃だ!」
フラウ「アムロ!」
アムロ「父を探してきます! こんな退避カプセルじゃ保ちませんから、今日入港した船に避難させてもらうように頼んできます!」

アムロ「こ、これがジオンのザ、ザクか!?……」

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