大賀 やはりそういった、猟奇的ミステリーの系譜としては、乱歩ありきの横溝正史であったという側面はあの当時は特に強かったですね。

三留 乱歩(の著作物)は講談社春陽文庫がほぼ独占していたから、角川は横溝正史一本推しでいくしかなかったんじゃないかな。でもなぁ……『犬神家の一族』面白かったなぁ(笑) インモラルなところもあるし、観ている私がまだ子どものころだったから、観ていてドキドキしちゃって……。

大賀 監督が市川崑さんだったからかもしれないけれど。角川映画だから「金をかけてまっせ」感はビンビン伝わってくるんだけど、これみよがしの金の使い方をしないんですよね。

三留 そうね。そうよね。

大賀 「そういう金のかけ方」が、まだ日本映画にはなかった時代なんですよね。

三留 そう、それがね、例えば時代背景とかもあるんだけど、「日本映画はそもそも“金持ち”を描けない」というね(笑)

大賀 あー分かる(笑) たとえばテレビの『仮面ライダーBLACK』(1987年 監督:小林義明)の第一話なんかでも、監督は僕が大好きな小林義明氏で、映像美はすごいんだけれども。その第一話の冒頭で、豪華客船の船上パーティのシーンがあるのね。確かにロケセットは豪華客船を借りた。トラ(エキストラ)も揃えた。第一話だから予算もある。条件は揃ってるのに、見るからに画面から漂ってくるのが、物悲しくなってくるかのような安っぽさだったのね。なんか、いかにも大泉撮影所の衣装部の隅で埃をかぶってたキャバレーのドレスを着ましたみたいな女優さんが画面の端の方に映っていたりね。

三留 それはよく言われてるんだけれども。すごく上っ面で金持ちっていうのを想像して、「金持ちの家には暖炉があるだろう」とかさァ(笑) そんな金持ちいねーよっていう(笑) 鹿の首の剥製が壁に飾ってあったりとか、そういうすごい薄っぺらい「金持ちとは」観であったりとか。だから当時角川映画が出てきて「自分たちの映画だ」と(自分が)思ったのは、視点が違ったの。というのは、それまで描かれていた、自分たちと同世代の、高校生だったり、中学生だったりが、あくまで大人が「こうであるべき」「こうであってほしい」と型にはめて作った物。役者さんが良くても、「こんな中学生いねーよ」っていう、人物像に大人のバイアスがかかっていたのね。「それ」は観ていて、非常に居心地が悪い。「それ」が、角川映画では違ったんだよね……。それはまぁ(薬師丸ひろ子ちゃんの映画であったりとか……。

大賀 僕はそれと同じことを、角川じゃないんだけど、やっぱり薬師丸ひろ子さん主演の『翔んだカップル』(1979年 監督:相米慎二)で強く感じて、『機動戦士ガンダム』(1979年 監督:富野由悠季)のアムロでも感じたんです。それまで。70年代は「子役の時代」とも呼ばれて、僕はリアルタイムで、『ウルトラマンタロウ』(1973年)や『ケンちゃんシリーズ』に登場してくる子どもたちに対して、三留さんと同じような違和感を抱いていたんですよ。そこは「大人が描きたい子どもたちしかいない世界」であって、僕たちの世界じゃない。

三留 そう、そうそう! 「別の世界」だと思っていた!

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