前回は『山際永三インタビュー 第四夜「山際永三とエース、タロウ、レオと」』

『日本沈没』テロップ

――監督にお聞きします。70年代のテレビ文化は、映画界の衰退による才能ある作家の大量流入により、非常に文化的に活気のあるものになっていました。そこで作られる作品のほとんどが、「社会と人」という部分で、問題提起やテーマ性に溢れていました。人は社会と必ず関わって生きていて、生きてるということは、人は社会で起きている問題と地続きであり、目を逸らしてはいけない。そういう部分で、文化がしっかりと機能していた時代が、この国の60年代から70年代に、当時確かにあったと思います。ところが80年代以降、国家を動かす側による国民洗脳政策のような形で、ありとあらゆる文化が、社会と人との絆から目を逸らさせて、等身大の「個人の幸せ」だけに、目を向けさせるように仕向ける流れになりました。社会を歌っていたフォークは恋愛しか歌わなくなり、テレビドラマも個人の幸せだけを扱うようになり、「楽しくなければテレビじゃない」の金科玉条の下、そのプロジェクトは成功し、誰も社会へ目を向けなくなりました。それを打ち破ることは、現代の文化事情では難しいと思います。むしろ、監督が活躍なさっていた70年代。そこで携わった皆さんは、自身の存在と生き方を込めて、ドラマを作っていた。その激動の時代をテレビ映画監督として生きてこられた山際永三監督にとって、この時代を総括するとき、どう思われておられるのでしょうか。

京都花園天授ヶ丘 マキノ撮影所ものがたり
(山際監督が編纂スタッフとして刊行された『京都花園天授ヶ丘 マキノ撮影所ものがたり』


山際 確かに仰る通りでね、80年代になって、僕は現場から離れていったんですね。確かにその頃に、僕が更に新たな才能で、新たな作り手として、映画を作っていくべきだったし、当然そうすべきだったんだけども、それをまぁ、ある意味では怠けて、現場から遠ざかっていったんだけど。つまり僕の才能の枯渇というのもあるのは確かで、それはもう決して否定しないんですけども。ただ、僕がテレビの世界にいられなくなっていったっていう現実もあるんですよね。それはもう、残念ながら、テレビ自体が仰るとおりに、幸せを売りにすればそれでいいんだよって、社会に対して物申すなんてやめてくれという方向へ行った。そういう中で僕はもう干されていって、失業させられていったんだと。事実、7時台8時台の子ども番組は全滅していったからね。実際問題、我々のやる仕事が、無くなってったわけですよ。それはもう、前から兆候があったんだけど、国際放映で『俺はあばれはっちゃく』(1979年)というのをやって……。

――山中恒さんと組んでおやりになられた。

『俺はあばれはっちゃく』

山際 そう。ある意味では、それが最後になったのかな。その後は、東映でもちょっとやったんだけどね、どれもあんまり評判が良くなくて、途中で打ち切りになっちゃったんですよ。結局仰るとおりで、テレビの世界も、問題提起しようという空気がなくなっちゃって、問題提起する人はいらないと、個性もいらないと。時代のトレンドを掴んで、リードするような演出家だけ必要なわけで。問題提起なんかする演出家は、必要はないってところまで行っちゃった。これが80年代なんですよね。だから、一番象徴的なのは、僕の最後の頃の仕事で、『ちびっこかあちゃん』(1983年・東映・TBS 脚本・田口成光)という山中恒の原作(『ママは12歳』)なんだけど、お父さんとお母さんが離婚してね。小さな弟が二人いて、小学校4年生の女の子が、母親代わりをやるという話なんですよ。僕はまさに、これだと思って入れ込んでやったんだけど、視聴率が悪くて悪くて……。

『ちびっこかあちゃん』

山際 東映に小野耕人さんっていう、僕を買ってくれるプロデューサーがいてね、僕を買ってくれるっていう時点で、東映の中でも出世しないっていう(笑) 小野さんは東映の上の方から「なんで山際ばかり使うんだ」「東映に監督なんていくらでもいるじゃないか」と言われて(爆) それでも「山際が良いんだ」って言ってくれた人なんですけど。その『ちびっこかあちゃん』は、僕の中ではお手の物だったんですけど、こういうことがあったんですよ。主役の女の子を決めるときにね、まぁ、それまでの時代、『コメットさん』(1967年)とか『チャコちゃん』(1966年)とかの頃は、小学校5年生とか6年生くらいが、子役のピークだったんですよ。蔵(忠芳・『コメットさん』の河越武役)君とか。それが段々低年齢化していってね。80年代に東映で『ちびっこかあちゃん』やるころには、1年生、2年生に、天才的な子役がいてね。4年生、5年生はもう皆大人になっちゃって、つまんなくなっちゃってね。子役らしい子役がいなくなっちゃった。それでもう、僕はね、当時は子役っていったら、いろんな劇団の子どもを、リストアップしていて、いろいろ把握していて詳しいわけですよ。劇団の稽古を見に行ってね。劇団が推薦してくる子は、たいてい面白くないわけですよ、優等生でね。いいとこのお嬢ちゃんお坊ちゃんで、つまんないわけですよ。稽古のときにサボってばかりいて、言うこと聞かない子の方が面白いんですよ(笑) 結局その『ちびっこかあちゃん』を演る小学校4年生の女の子もね、まぁ何人か候補がいたんで、結局最終的に二人に絞られたんですよ。で、一人はなんていうか、がちっとしたしっかりタイプの女の子でね。叩いても泣きもしないっていう感じの、頑固な感じもあって(山際監督からみたら)なかなかいいよ、と。もう一人はね、痩せててアイドル的な、可愛らしい子でいいとこのお嬢さんで。で、その二人が残ったときに、TBSの編成の奴が、主役を決めるのはTBSだから、(TBSに)呼んで来いってことになって、小野さんと二人で、その子達をTBSに呼んで見せたのね。そしたら、その編成担当者は、可愛い子ちゃんが良いって言うわけ。僕はね、そうじゃないんだと、僕はまた理屈を言ったわけですよ(笑) ところが、頑として聞かないの。だから僕は、嫌になっちゃって。「だったら(監督を)辞める」って駄々こねたりして。まぁ小野さんは間に入っちゃって、困っちゃってね。結局TBSの側が「そこまで(山際監督が)言うなら」って諦めてね。僕の希望する子が主役になったんですよ。で、そこまではよかったんだけども、全然視聴率が悪いわけ。もうどうしようもない(笑) とうとう、ワンクールももたないで、ストップ(打ち切り)されちゃった。そのとき僕はつくづく、TBSの奴に「それみろ」と言われている気がして。あん時に可愛い子ちゃんを選んでおけばね、まだよかったかもしれない(笑) なんていうかなぁ、トレンドではないわけですな。それでもう、僕は痛い思いをしたんだけども。そんな風に、全てが「可愛い子ちゃんで綺麗で美人で」っていう風に、風潮がなっていったわけです。これはもう、どうしようもないわけですよ。まさに仰るとおりで、社会に対して問題提起しようなんて人がいませんって時代になっちゃった。

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