いきなりで、突然なカミングアウトなのだけれども、今これを書いている僕は、実は難病に侵されている。
それも、聞けば誰もが同情するようなメジャーな難病ではなく、○○○万人に○人とかに例えられる、正体不明の病気だ。
診断が下りるまで、日本最大にして最高峰の、東京国立医療センターを以てしても3年の月日を要した。
度重なる意識昏倒からの救急搬送。バイタルショックからのICU内での緊急措置。これを、過去12年で、概ね20回はやっている。

本当にね「僕は以前、急性心筋梗塞で死にかけたんですよ! 僕は死線をかいくぐって生き延びられたんだ。生きる運命に感謝!」とか、人生の一大事を、自分を誇示するエピソードに使っちゃうような、「とても幸せな人」とかを見ると、呆れるを通り越して微笑ましくなっちゃうっていう。
あぁ、よほど「ドラマティックな自分の逸話に飢えていたんだね」と。「自分が主人公で、クライシスを乗り切る物語に酔いしれたいんだね」と。
でもね、ごめんね。本当の意味「死線を潜り抜けた人」は、そんなことを自慢しないし、運命に感謝しても、それをいちいち何度も、SNSとかネットで、耳タコのレベルでスピーカーしないんだよ、としか言いようがない。

伊藤計劃原作アニメ『虐殺器官』

一応、急性発作を起こし始めて3年で、骨髄遺伝子検査まで受けてようやく僕の病名は判明した。
ここではあえて書かないが、あまりにもレアケース過ぎるらしく、東京国立医療センターをもってしても、根幹治療の目途はなし。
やること、できることといえば、対処療法レベルで、数日起きに近場のクリニックへ通うしかなし。
普段飲む常備薬も山ほど渡されたが、どれをとっても一切合切「病気の治療」「発作を起こさないための予備薬」はなし。そりゃ治療データも臨床データもない病気なんだから、治療が出来ないのに、処方薬があるわけもない。どれもこれも「おまじない」レベルの薬。飲んだからといって、突然のバイタルショック一直線の急性発作を、予防することができるわけでは、1ミリグラム(笑)もない。

発作の前兆もない。発作が起きる数分前、いや数秒前までは、普通に元気で、いつもの大河さんで、明るく電話で話していたり、原稿を書いていたりする。それが、まるで何かのスイッチがONになったように、発作が起きたとたん、意識不明への一本道を辿り、そうなるまでの間に、なんとか死力を振り絞って119で救急車を呼び、東京国立医療センターへ搬送してもらうしかなくなる。
その間、血圧は下が30を切り、グラスゴー・コーマ・スケールの数値は最悪になり、意識も昏倒してしゃべることもできなくなるのだが。

だが、いざ一度、東京国立医療センターに辿り着いてしまえば、一応緊急処置が開始されれば、とりあえずそこで命は絶対に助かる。毎回毎回、医療ドラマ並みの、大病院のICUの最奥部屋のベッドに寝かされ、身体中に点滴やリンパ点滴、バイタルモニターコードや酸素マスクなどで、我が身はいわゆる「スパゲッティ状態」になり、腕一つ動かすことも出来ぬまま、一応意識だけは明確に戻り「あぁこの若いお医者さん、テンパってるなぁ」とか「この、美人の看護師さん、白衣が血で染まってるのは、現在進行形で他の部屋か患者で、交通事故でもあったのかな?」とか、意外とのんきなことをのほほんと考えているからだ。それもこれも、もう20回にはなる。そういう意味で言えば僕は、不死身という意味ではウルフガイ・犬神明にも匹敵するほど、慣れっこになっているのだよね。

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