だから。
死線なんてくぐったからっていって、偉くもカッコよくもない。
死線は常に、普通に健康で道を歩いている高校生の脇にだって敷かれている。次の瞬間、暴走トラックか工事現場の落下物に巻き込まれて死ぬ可能性を考えれば、人はいつだって死と隣り合わせの現実を生きているからだ。
それをして、なにか満身創痍のヒロイックな主人公ぶってしまうというのは、今の僕に言わせれば、たいそう滑稽で苦笑するしかない光景なのだが、いざ自分が、ここまで頻繁に、死線をくぐり続けると、逆に自分がえらいとかカッコイイとか、情ないとか不安だとかよりも、死線を「くぐってしまった人」への思いを、巡らせてしまう事になる。
それも、ある程度の年相応に、社会で活躍されてご高齢になった方ではなく、不摂生と健康診断放置が原因の、自業自得でくたばった奴でもなく、病気と頑張って戦いながら、若くして天国へ招かれてしまった、そう、例えば伊藤計劃氏などについてだ。
伊藤氏はもうこの世にいない。
若い頃から発症した癌が身体中に転移して、2009年に34歳の若さで急逝している。
作家として、処女作の『虐殺器官』を発表したのが2007年。
つまり彼の作家人生は、たった二年半で終わってしまったということだ。
しかし、伊藤氏のその作品は日本文壇界に衝撃を与え、その処女作『虐殺器官』は、『SFが読みたい! 2008年版』1位、月刊プレイボーイミステリー大賞1位、日本SF作家クラブ主催の第28回日本SF大賞候補等の栄誉に次々輝き、あの宮部みゆき女史をして「私には三回生まれ変わっても書けない」と言わしめた。
伊藤氏はその後も入退院を繰り返しながらも、なんとか何篇かの小説を上梓したが、惜しくも2009年に、その命はがん細胞に打ち負けて朽ちてしまった。
しかし、彼の『虐殺器官』が日本文壇に与えた影響は凄まじく、SF界では「2000年代最初の10年における究極の一冊」と呼ばれている。
伊藤氏のSF文壇における功績や、『虐殺器官』に関する詳細な分析や批評、評論などは、既にSF界隈では出尽くしているレベルで語りつくされているし、なにより友人でもある岡和田晃氏が、伊藤氏のアナライズに関してはスペシャリストでもあるので、僕のような門外漢が、アレコレここで内容に口を出すような批評を書くまでもあるまいと、今回は「僕と伊藤計劃氏」という視点から、この文章を書いてみる。
この本との出会い。
上でも書いたように、僕はここ数年で何度も、死線ギリギリのところで東京国立医療センターに担ぎ込まれ、そのたびに二週間程度の入院生活を送っているのだが、まだWi-Fi環境も整わず、携帯もガラケーで、病院のベッドの上で退屈するしかなかった僕に、「これ、面白いよ」と、古くからのSF好きの友人が、差し入れてくれたのがこの『虐殺器官』だった。
渡された僕は、まだその頃は伊藤氏の名を知らなかったので、本編を読む前に、それぞれの本の解説やネットでの伊藤氏の経歴などを(それも懸命にガラケーで!(笑))調べていて、勝手に思うところを感じ取ってしまった。
きっと 僕の友人は、それを差し入れてくれたことについて「いや、ただ面白い本だったから」と言うのだろうし、実際にそう思っただけなのだろう。
けど、思い込みが激しいのは大河さんの生まれつきの性分である(笑)