筆者の中で、若くして急逝してしまった、SF畑での惜しまれる作家さんというのは三人存在する。
一人は、イマドキのSF畑読書人なら、知らぬ者無し「2000年代最初の10年を飾るトップSF作家」と呼ばれていた伊藤計劃氏。
もう一人は、本邦初の本格的怪獣特撮ドラマであり、本邦初の本格的SFドラマでもあった『ウルトラQ』(1966年)で、決して「街を壊し火を吐いて暴れる」だけではない、新概念の「怪獣バルンガ」を生み出し、そこでのシナリオ筆捌きも、まるでJames Graham Ballardの『結晶世界』のような秀逸なアンソロジーを生み出しつつも、翌年他界した虎見邦男氏。
そして残るが、今回のこのコラムの主役でもあり『マイナス・ゼロ』『エロス』等を上梓した広瀬正氏ということになる。
広瀬正の短かった作家人生
広瀬氏は、大正13年の東京で生まれ銀座で育ち、大学は日大の工学部を卒業。その後ジャズバンド等を続けながらも、同人誌『宇宙塵』に参加。そこで書かれたのが、日本タイムトラベルSF史上空前絶後の最高傑作『マイナス・ゼロ』であった。
そこから始まった広瀬氏の作家人生の中で産み落とされた『マイナス・ゼロ』『エロス』は、共に(『ツィス』と共に計3回)直木賞候補作に選ばれるが、最終的に受賞することは最後までなかった。
その後広瀬氏は、作家デビュー後3年という短さの中を駆け抜け、心臓発作で1973年に急逝された。享年47歳。
筆者が広瀬氏を初めて知ったのは、長編、中編、ショートショートの全てを集めても6冊にしかならなかった『広瀬正全集』が、河出書房から集英社文庫に移されて、改めて展開が始まった1982年のタイミング。
こちらでも記したが当時の筆者は「日本SF文学とは、一人一ジャンルの、崇高でストイックな文壇なのだ」を崇拝しており、そういう意味でも広瀬氏の作風は、Robert Anson Heinleinに一歩も引けを取らない、タイムパラドックスやタイムトラベルジャンルを、誰よりも得意としており(実際、広瀬氏が遺したエッセイ『時の門を開く』は、ある種Robert Anson Heinleinの『時の門』を、緻密に精巧に因数分解した学術的研究論文でもあり、その頃まだ誰も気づいていなかった「『時の門』の矛盾」を、まるで本格推理の名探偵のように指摘した大作であった)、小説という文学を、心理学まで計算に入れた上で、精密な部品の集合体として、文字という記号を操りながら、膨大な仕掛けと、完璧なディティールで構築する術に長けていた。
だからであろう。ジャズと共に、クラシックカー等にも傾倒していた広瀬氏は、その緻密な構造学をSFに利用するだけではなく、そのまま「広瀬正式」のカテゴリで、『T型フォード殺人事件』という本格ミステリーも手掛けている(この辺りの、作家性がジャンルを超えたがゆえに、SFとミステリーを自在に往復できるポテンシャル性は、後の宮部みゆき、瀬名英明氏らが受け継いでいるともいえる)。
筆者が、最初に広瀬正氏の集英社文庫全集に興味を持ったのは、その6冊の解説陣のすさまじさゆえであった。
亡くなって10年は経つ、言ってはなんだが一般社会に知名度がゼロのまま急逝されたSF作家の、たった6冊の文庫の解説が、星新一、小松左京、筒井康隆という日本SF三巨頭をはじめとして、残る3冊も石川喬司、司馬遼太郎、井上ひさしという、そうそうたるメンバーで構成されていたのだ。
80年代初頭のSF少年であれば、これは読まざるを得ない! むしろ、筆者が知らないこのヒロセタダシという人は何者なのだ? すぐに全冊買って、読み干さねば! 当時の筆者は、半ばパニックになって、6冊全部を握りしめて、レジへ向かった
そして、読んでいくにつれ「広瀬文学の深遠さと精密さ」に魅了され、人生でも最上級の日本SF作家として、筆者の中で認知されていった。