『009』と『ワイルド7』は、共に日本漫画界の栄光ある傑作であり、共に作者が逝去された後も、熱狂的ファンが今も支えている名作漫画である。
しかし、筆者が知る限り、この奇妙にして偶然の一致に関しては、あまり表立った漫画評論・解析シーンでは、明記されたことが少なかったりするのも事実なのだ。
結果的な現象面での理由はいろいろ考えられるだろう。
人間は印象を、結果から得る存在でもある。
すぐ上でも書いたが、『ワイルド7』は最初から最後まで、アクションバトル警察漫画として有終の美を飾ったが、『009』は掲載雑誌変更に伴って、少女漫画テイストを組み込んだり、宇宙抒情詩的なブームを取り込んだり、ハルマゲドン展開を行ったり、オカルト古代文明探索編もあったり、ヒューマンアンソロジーの一面を見せたり、漫画としてありとあらゆるジャンルを網羅し、どれもこれも一級品としての仕上がりを見せていたため「連載初動時期のコンセプト」が、あまり重要視されなかったからであろうと思われる(それは、今回冒頭で記した、石森マニアマダムとの会話に出てきた「ネーミングの安易さ」を、後年感じさせなくなっていったという理由にも当てはまる。もっとも、21世紀の今になってしまえば「もともと、フランスにフランソワーズ・アルヌールという名前の女優がいた」とか「アメリカの黄金期ハリウッド大作ミュージカルの登場人物に、ジェット・リンクという名の青年がいた」など、誰も気づかないだけなのかもしれないが……)。
しかし、この2作品を「石森章太郎と、望月三起也の代表作二大漫画」としてとらえるのではなく「少年画報社の少年キングがプロデュースを行って始めた、二つの漫画」としてとらえたとしたらどうだろう?
『009』の初動と『ワイルド7』の初動では、もちろん担当は違うのかもしれないが、自誌で不人気打ち切りを食らわしたはずの漫画が、他所の雑誌へ行ってからブレイクし、アニメにもなり社会現象と(サイボーグという)流行語まで生み出したとなれば、これはもう少年画報社としては「逃した魚は大きかった」ではすまされない。
そこには、出版社としての意地もあるだろうし、プライドもあるだろう。
だとすれば「逃した魚の、初期企画骨子をもう一度生かして」の、再度のリベンジを、望月三起也氏に少年キング編集が、賭けてみたのだとしてもおかしくはない。
確かに「主役が少年院出身」は、他にも『あしたのジョー』『男組』など、高度経済成長期以降はタブーではなくなったし、「ム所帰りの主人公」像が、当時社会現象を巻き起こしていた、高倉健の任侠映画シリーズなどに通じる部分もあるだろう。しかも当時は70年安保運動の真っ最中であり、実在する学生デモや過激派少年達が、警察に捉えられ、少年院送りになるケースも多発していたという社会的背景も関係しているだろう。
「本当の巨悪を倒す力は、悪の力を借りてでも、対抗しなければいけない」は、石森氏自身も『仮面ライダー』で、石森氏の弟子筋の永井豪氏も『デビルマン』で、それらの神様たる手塚治虫氏も『ミクロイドS』で「抜け忍ヒーロー」を率先して描いていたのも歴史的な事実だ。
しかし、『009』と『ワイルド7』ほど、(決して実際の内容ではなく)企画骨子がここまで似ていて、しかもどちらも漫画史に残る歴史的作品になった事例は、他に例を見ないといっていい。
これは、どちらがどちらをパクった。模倣した。二番煎じ、そういった問題とは根幹が違う。
80年代以降の『週刊少年ジャンプ』漫画が、全て違うジャンルではじまっていたはずなのに、いつの間にか全部の漫画がトーナメントバトル路線へ移行したのと同じように、漫画や大衆娯楽はプロデュースサイドが大まかな方針を決めて、最前線の戯作者は、それに沿って自分の才能をその「入れ物」に注ぎ込むという意味では、小説もドラマも漫画も変わりないのだという、システム論の問題に帰結していくのだという話である。
漫画マニア、オタクの類は、潔癖症な人が多く、「円谷プロダクションや虫プロは、規模は小さい会社だったかもしれないけれど、夢工場だったんだ」や「あの名作は、天才が一人で原稿用紙とにらみ合いながら、たった一人で産み落としたんだ」といったような、非現実的な夢物語をベースに、実際の「商品」を語りたがってしまうが、幽霊の正体見たり枯れ尾花ではないが、「混沌とした時代の、コンテンツビジネスの最前線では、意外とあっさり、“作品”ではなく“商品”として、それらがやり取りされている現実」という結論と、遭遇してしまうものである。
だが、石森章太郎氏の『サイボーグ009』と、望月三起也氏の『ワイルド7』が、共に黄金期の漫画界を支え切った、歴史的傑作であり、お二人が実力を伴った天才であったことだけは、これは間違いがない事実なのである。