一人の青年が映画を作っている。
その映画は自分の自伝でもあり、芸術でもある。
しかしやがて「映画を作っている私」はスクリーンの中の「少年時代の私」と共に、自分「達」の在り方に、問題提起をし始める。

代替テキスト

本作『田園に死す』は1974年に、劇作家であり表現者でもある寺山修司氏の、原作・脚本・監督・プロデュースで作られた映画であり『書を捨てよ町へ出よう』(1971年)に続いて制作された、寺山氏本人の自伝的要素もある、傑作映画である。

ある種の色眼鏡で見る人が思うように、本作品はいかにもな70年代ATG映画であり、寺山修司氏ならではのアングラ映画・前衛芸術としては、今でも鮮烈な輝きを放っているが、山際永三・市川森一・唐十郎トリオの『恐怖劇場アンバランス』『仮面の墓場』(制作1969年)や、鈴木清順監督『ツィゴイネルワイゼン』(1980年)へとも繋がる、その「いかにもなアングラ前衛的雰囲気」が個人的に心地よいかどうかで評価が別れる作品だ。
映像的に解体していった時の寺山修司的な画作りは、鈴木清順・押井守両監督だけではなく、悪名高い実写版『めぞん一刻』(1986年)での澤井信一郎監督の演出へも、受け継がれているのだろう。

俗にいう「ATGらしさ」の極みである本作ではあるが、Julious Arnest Seazerの音楽を背景にして描かれる、過去と現在、エロティックさとフェティシズムへの傾倒、夢と現実の交錯は、後の押井守監督や実相寺昭雄監督、Wachowski Brothersへと受け継がれるテーマになっている。

ここでは寺山氏による、かつてない「本物の表現」と「本当の独自性」そして「プライベートフィルムの普遍性」が交わり合って鮮烈な光を放っているという壮絶さ。
実はこの映画では寺山氏は、あえてプロデュースや脚本の方に重心を置いて、実際の撮影は、撮影監督の鈴木達夫氏(氏は後に長谷川和彦監督の『青春の殺人者』(1974年)『太陽を盗んだ男』(1979年)も担当する)に任せきりだったという逸話もあるが、むしろ寺山氏は確信犯的に、映画撮影現場という「状況」を綿密に作り上げることで、その中で、予定調和と化学反応の中で発せられる「現象」に、期待したのだとも思える。
この価値感覚は『2001年宇宙の旅』(原題:2001: A Space Odyssey 1968年)『時計じかけのオレンジ』(原題:A CLOCKWORK ORANGE 1971年)の、Stanley Kubrick監督にも相通じるところがある。
Kubrick監督の場合は、常に映画製作が「手段」で、そこには必ず(時代性的に)仮想敵がいて、それはHerbert Marshall McLuhanだったり、William Oliver Stoneだったり、自作映画の原作者Stephen Edwin Kingだったりするのだが、寺山氏とKubrickに相通ずるのは(唐十郎氏もだが)「状況を作り上げる」 「表現の状況を作り上げた時点で、創作と表現の結果の殆どをコントロールする」という部分。

枝葉の部分で言ってしまえば、八千草薫の妖艶さや、原田芳雄氏の漢らしさ、当時天才子役の名を欲しいままにしていた高野浩幸氏の演技など、語りだすと止まらなくなるのがこの映画なのであるが、そこでの虚実入り混じった画作りも展開も「人の記憶という物は、はたしてここまであやふやなものであろう」という前提で観ていけば、食わず嫌いの人が嫌悪する程、物語構造は観念的ではない。
いや、むしろシンプルなまでにロジカルと言い切ってもいいのかもしれない。
そこには、この手の前衛芸術にありがちな「不条理」はむしろあまり押し出されず、夢や幻想が持つ独特の「生々しさ」と「虚像っぽさ」を往復するが、全体の構造としては、広瀬正氏がSF小説『エロス』で描いたような(広瀬正「SF作家にしてタイムマシン搭乗者にして、天使」参照)もしくは近年Peter Howitt監督が撮った『スライディング・ドア』(1998年)のような、パラレルな「あったはずの過去」と現在、そして「あり得たかもしれないはずの過去」が、並行処理として描かれ、それは最終的に(タイムパラドックス物特有の)「親殺し」というテーマへ帰結する辺りは、この映画の普遍性を物語っている。

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