前回は「出渕裕ロングインタビュー11 出渕裕とCGアニメと『ヤマト2199』と

――すごく私的な質問になるのですが。出渕さんとこうして知り合えたのは、とある僕だけを狙い撃ちして中傷してくる、いわゆる今でいうアンチが、僕のガンプラ連載を炎上させようとしたところから始まって、その結果、出渕さんとまず、SNS上でご縁が出来たわけですけれども。その上で、今回出渕さんが、こうして「市川大河と会ってみよう」と思っていただけたのはどうしてでしょうか?

出渕 アンチとか、そういうネット上での感情の応酬とかよくわからないし、あまりアンチとかそういう呼び方自体も好きじゃないんですが……。どうしてかと言われると。あ、意外と誰だからではなく、人と会って話すのが面倒くさいって思わない方なんで(笑) ただ、そうですねえ、氷川(竜介)さんがシェアかなんかしてたのかな?たまたま 『ガンダムを読む』(筆者がシミルボンで連載していたガンダム連載。本サイトで改めて全シリーズ展開予定) を読んだからですかね。富野さんに対してすごく真摯に向かってる感じはしたので興味を持ったのかな。もしかしたら、氷川さんもそういう感じだったのかもしれないですね。

――いやぁ。氷川さんにはいつも、SNSの投稿などで、漫画やアニメ関係の投稿をすると、「大河さん、そこは違います! 間違ってます」とかの、厳しいご指摘を頂いて、至極恐縮しております。

出渕 まぁ氷川さんの仕事は後継出来る人ってあんまいないですから。だから(クライアント側も)「あぁこの人に頼めば上手くやってくれる人なんだ」って適当に(氷川氏に仕事を)頼んで、氷川さんも最初のころは、それで請けてやってたんですけど、最近はちょっと辛そうですよね。(氷川氏は)彼は就職して富士通にいて、その富士通に入る前から、『月刊OUT』『アニメック』『ランデヴー』(いずれもアニメブーム黎明期を彩った雑誌)で文章書いたり、あと、キングレコード系の構成とかやってたりしていたんですよね。安彦さんの原画を、初めて(アニメのレコードの)ジャケットに使ったのは彼ですからね。原画っていうかレイアウトだったんですけど。「これならジャケットになりますから!」って言って。あの当時は描きおろしを使うのが普通だった時代なんですけど、(ジャケット用の画が)間に合わない、どうしようってなったときに、氷川さんが機転でというか、確信犯だったのかもだけど提案したらしいんですよ。10代の頃からの友人だったんで、そういった編集やライターをやめて、ちゃんとした会社員になるって彼が決めたとき、もったいない! もったいない、もったいないって言ってたんだけど(笑)。結果戻ってきてくれて、いまでもこっちの世界でご一緒してるわけだから良しなんでしょうね。  

アニメ雑誌の黎明期『ランデヴー』

――でも、その後も会社員としてしっかり勤務されながらも、アニメ、特撮の研究家として、第一線で活躍され続けましたよね。

出渕 途中でNiftyとかで「アニメフォーラム」に参加したり、そのうち会社を辞めて(アニメ・特撮研究家として)やっていくってなったときに「えっだいじょうぶなんですか?」って。だって上場企業のサラリーマンだったわけじゃないですか。まぁでも、いろいろ組織とか人間関係とかあったのかもしれないよね。そういう意味ではいまのほうが個人の責任で行動できるし、実際自分なんかも組織とかしがらみとかに縛られたくない、そっちでしか生きれないタイプなんでわかるんですよ。退社されて(企業を退社して、アニメ・特撮研究家一本に絞った)最初のほうは、仕事ガンガン請けて、やってたんだと思うんですけど、最近は何でもかんでも彼のとこに来て、そこは整理しなきゃやってられないんじゃないかな。僕も彼も、もうあと生きてるうちに何がやれるのかな、っていう逆算する時期に入ってますしねえ。ただ、特撮もアニメも、深い考察と評論が出来ますからね彼は。やはり話が彼のとこに行っちゃうんでしょう。もともと『怪獣倶楽部』のメンバーだし、あのスキルは得難いですからね。

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