(株)ガジェットリンク代表・平松広和氏をお迎えして語って頂く今回は「平松広和インタビュー・2『レッドバロン』とチェーホフと」をお送りします!
前回は「平松広和インタビュー・1『スーパーロボット大戦』と『ウルトラQ』と」
――平松さんの場合、ご自身が芝居の道に進まれるまで、好きなものを追いかけ続けて、芝居や声優の道へ歩まれるまで、そういうヒーローとかアニメに対して熱かった期間が、隙間なくびっしり詰まってる素敵な思春期だったのだなっていう思いをすごくするんですけど。
平松 そうですかね。やっぱり好きなものを、見たり読んだりしてる時って。凄い幸せだし、学校であったいろんなこと、良いことも悪いこともあるんですけど、良いことは、記憶しますよね。悪いことは「忘れたい」と思うんですけど、忘れたいと思えば思うほど、記憶って蘇ってくるじゃないですか。そういうものなんですけど、やっぱり好きなものに接してる間は、一切(余計なことや嫌なことを)忘れられるんで、外で遊んで帰って、へとへとになって家に辿り着いていたらテレビにかじりついていたし、親が寝ろって言って、家族が寝ても、テレビ見てた。そんな好き勝手ばっかりやってた人間ですよね。
――先日、僕インタビューを掲載させていただいた『ラーゼフォン』(2002年)とか『宇宙戦艦ヤマト2199』(2013年)の監督、出渕裕さんに、インタビューの最後の最後に「人生でやれるとしたらどんな仕事をしてみたいですか」って聞いたのですが。あの『スーパーロボット レッドバロン』(1973年)のリメイクだったらやりたかったって仰いまして。たまたまちょっと前に、平松さんの『私道』、もう一回、復習しておこうと思って観ていたら、ちょうど平松さんが『レッドバロン』への想いを熱く語れおられる回に当たりまして。みんな、なんか『レッドバロン』大好きなんですよ(笑)。僕も大好きなんですけども、それは皆さんあの世代の人たちって好きなんだろうなって。
平松 そりゃぁ多分お好きでしょうね。だって、やはり久しぶりですもんね。巨大ロボット(主人公ドラマ)が『ジャイアントロボ』(1967年)から、こっちそんなに多くなかったですからね。
――「人が乗り込むスーパーロボット物」という意味では、アニメの『マジンガーZ』(1972年)の方が放送は早いんですが、テレビ会社に企画書を持ち込まれたタイミングは、実は『レッドバロン』の方が早かったんです。
平松 あぁそうなんですか。
――でも、平松さんの『私道』などのYouTubeを見せていただき思ったのは、本当に、好きなアニメや特撮、芝居やバイト等、自分にも覚えがあるんですが、思春期の頃、自分は、一日、二十四時間で生きてたんだろうかって思う時ってやっぱりありますよね。
平松 ありますね。