最近、個人的に、私的思春期を彩った、80年代の名作漫画にハマっている。
御厨さと美『裂けた旅券(1980年~1983年)』
竹宮恵子『私を月まで連れてって!(1981年~1987年)』
小林じんこ『風呂上がりの夜空に(1984年~1987年)』

どれもこれも、敬愛すべき狩撫麻礼先生辺りに言わせれば「軟弱な色恋漫画」なんだけどね(笑)
なんていうか、思春期の頃の僕は、そのときどきで一応彼女がいて「そういう願望」は満たされていたからなのか。この三本の漫画をこの年齢で読み返して、はっきり分かったことがある。

「なぜ僕は、そこまで“萌え漫画”が嫌いなのか」
まぁ「出てくる少女が、実在する女性という存在に対して、はなはだ失礼なレベルで嘘くさいから」とかも、もちろんあるんだけど。
萌え漫画の世界って、楽しみ方がイメクラのプレイなのね。
主人公の男子はどうでもよくて。
ただただひたすら、自分を主人公の男子に上書きして、そこに登場する、ヴェルダンディだか律っちゃんだか、那珂だかトウカイテイオーだかと「自分」の、仮想恋愛を自慰行為で楽しむ「素材」なのね。

代替テキスト
『裂けた旅券』

でもね。
あの頃僕は、概ね10代の後半辺りだったけれども。
もちろん、漫画は夢物語なんだから、そりゃ最後はメデタシメデタシで終わる事なんかは分かっていたけれど。
上の三作品で素敵な関係を築いていく、羅生豪介マレッタ・クレージュにも、ダン・マイルドニナ・フレキシブルにも、松井辰吉花室もえにも、それぞれ本気で「あなたたち二人で幸せになってほしい」と思えたのだよね。
で、三漫画三組とも、そこそこにご都合主義ではありつつも、そこそこに(当時の僕が思う範囲で)生々しい「男女論」「恋愛観」みたいなものを交わしながら、現実の恋愛の非情さを、そこで体感しながら読むことが出来、僕は自分の日常と重ねて生きていた。

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