僕の「野球少年だったころ」はそこにあったのだ。
しかし、全てを終えた武藤が妻子の元に帰った後のエピローグ。
僕は忘れていたページに出くわした。

代替テキスト

この写真。この写真は1915年。日本で初の野球大会。今に続く高校野球大会が、第1回 全国中等学校優勝野球大会として朝日新聞社によって開かれた時の始球式の写真なのであるが、これを忠実に模写した水島氏の画で、「本場アメリカから日本に野球が入ってきて100余年」とナレーションがつづられたのである。

僕などが名前しか知らない、いや球界に名前も遺さずに去った選手たちの、野球狂達の群れが、いくつもの変化球や名勝負、魔球と呼ばれたフォークやドロップをはじめとした決め球を生み、投げ、打ち、脚光を浴び、闇へ消えていって「今」があるのだと。
だから、ドリームボールを一回打たれたぐらいで引退する勇気はやはり女だ、甘い。岩田と盟友の監督とはそう愚痴って、最後の勝負の翌日、いつもの練習場に出た。

そこには――いつものように元気に走る勇気がいた。

「こらあ、メッツやめたやつがかってにグラウンドにはいりこむな! ここは野球するやつ以外いれんのじゃい!」
「岩田さん、おぼけになったんですか。わたしです。背番号1の水原勇気です」
「わしゃもうろくしとらん! おんどれがドリーム打たれたら引退するちゅうこともおぼえとるぐらいや!」
「やっぱりもうろくしてます。だってあんなこと本気にしてるんですもの」
「なんやて」
「投手ならだれだって信念の一球を投げるときはそのくらいの覚悟はするでしょ。それとも岩田さんは打たれると思いながらいつも投げてるんですか」
「あ、あほな」
「どんなときでもこのタマ打たれたら投手なんかやめたるわい、と思って投げてるでしょ」
「お、おい、こら、ちょっとまて!」
「いちいち打たれるたびにやめていたら、鉄五郎さんはもう、灰になっています」
「……」
「岩田さん」
「なんじゃい。またなんかぬかすんかい」
「野球ってほんとうにすばらしい!」

『野球狂の詩』水島新司
『野球狂の詩』水島新司

恥じずに言おう。
小学校高学年だった僕が当時胸躍らせて楽しく見ていたこの漫画のラストで、今回僕55歳の僕は泣いたのだ。
それは正しくは、この会話のシーンではなく、勝負の全てが終わり、武藤が広島を、勇気がメッツを去ったとされた次のページに、大正時代の「最初の野球」が映し出された瞬間に涙腺が崩壊し、そのままこのシーンの会話を読みながら、涙を止められずにいたのだ。

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

おすすめの記事