前回は『『犯罪・刑事ドラマの50年を一気に駆け抜ける!(70年代をナメるなよ)』Part8』
「こんな大物がテレビドラマで、しかも刑事物で毎週観られる!」で言えば、杉良太郎が主演した『大捜査線』(1980年)も、その筆頭だろう(決して「踊らない」)。
既に「女を殺す流し目男」として、危険物扱いだった杉良太郎が(本当か?)自ら進んでコルトパイソン6inを構え、乱射しながら犯人に突撃していき、タイトルバックには、毎回必ず(後年、ウッチャンナンチャンのコントでネタにされた)「昨日 一人の 男が 死んだ 戦って 戦って ひっそり 死んだ あいつはなんのとりえもない! スカンピンの……若者だった」というモノローグの後「だけどアイツは知っていた! 熱い涙を! 戦って死ぬことをどうして死んだのかとは 聞かない 聞かない! でもアイツの青春は 何処へ 何処へ 埋めてやればいい!? 君は人のために死ねるか? 君は! 人のために死ねるか!? 許せない奴がいる! 許せない事がある! だから倒れても! 倒れても! 立ち上がる! 立ち上がる! 俺の名前は! ポリスメン!」という、演歌ともブルースとも軍歌ともロックともつかない、謎の熱い魂の叫び声が、杉良太郎の(無駄に)コブシの利いた歌声で、吼えあげられるのだ(しかも、オマケにこの熱い主題歌(半分はモノローグだが)作詞は杉氏ご本人である)。
脚本は、初期はその殆どを新藤孝衛監督の日活映画『青春の情事』(1964年)や、三船プロのドラマ『炎の犬』(1981年)の脚本を書いた白井更生が担当していた。白井はそもそも大映の出身だったが、独立プロ「新制作集団」を設立し、1966年には映画『ヒロシマ一九六六』を監督もしている。
シリーズ後半は、伝説のお色気ドラマ『プレイガール』(1969年)でメイン脚本ローテーションを務め、、にっかつロマンポルノで『単身赴任 情事の秘密』(1981年 監督は白井伸明)『あそばれる女』(1981年)『女高生日記 乙女の祈り』(1984年)などでシャープさを売りにする脚本を書く宮下教雄。
余談だけど、この白井・宮下コンビも、いつか再評価してみたいと思っているが、しかしこの『大捜査線』も(踊らなかったからなのか)視聴率は低迷し、全42話という、4クールにあと一歩届かない話数で終了している。
「こんな人が、テレビで刑事物の主役を!?」の究極で言えば、まるで「出オチ」のようだが『警視-K』(1980年)なんて、主役はなんとまぁ勝新太郎だ。
勝新は、テレビドラマのアフレコを嫌って、このドラマの全ての台詞を同録(撮影時に、役者が口にした台詞を、撮影と同時に録音して使用する)にしたせいで、屋外のロケでは、雑音やら環境音やらがマイクに入りまくりで、しかもロングで撮るシーンも多いから(ロングだと、集音マイクは俳優に近づけない)要するに、視聴者が相当に聴力に集中して画面を睨み付けないと、何を会話しているかも聞き取れないドラマに仕上がっているのだ。
勝新はこのドラマでは監督・脚本・主演とフル回転で頑張ったが(ワンマン操業ともいう)脇を固めたのは、ATGで『キューバの恋人』(1969年)『日本の悪霊』(1970年)そして、原田芳雄の若かりし頃の代表作でもあり、デビュー直後の松田優作や桃井かおりが出演している『竜馬暗殺』(1974年)を監督した黒木和雄や、ピープロ特撮ヒーローシリーズの脚本を書いていたが、後に新城卓監督のデビュー作『OKINAWA BOYS オキナワの少年』(1983年)を書くことになる高際和雄。
しかし、先ほど書いたようにこのドラマ、とにかく台詞が聞き取り辛く、かたせ梨乃、佐藤慶、安岡力也、石橋蓮司、岸田森、原田芳雄、堀内正美、草野大悟と、ATG・六月劇場色丸出しの、超豪華なゲスト陣を(主に勝新の人脈で)迎えながらも、惜しくも(いろいろな意味で惜しくも)1クール、13話で打ち切られてしまった。