今回紹介する『虎よ、虎よ!(Tiger! Tiger!)』は、日本では『巌窟王』のタイトルで知られた、Alexandre Dumasによる『モンテ・クリスト伯(Le Comte de Monte-Cristo)』をベースにした未来宇宙SFの傑作であり、Alfred Besterが1956年に発表した小説である。
頭の悪い、端的な結論から言ってしまえば、この物語は途方もない復讐譚である。
特に序盤、その復讐譚を築くベースになるノーマッド号事件は、大宇宙という果てしない孤独の中で、人を復讐鬼へ変えていくという点では、復讐心の蓄積を時間軸に置いた『モンテ・クリスト伯』よりも、空間軸に置いた本作は、まるで後年、Sir Ridley Scott監督が世界中のその名を轟かせたSFホラー映画『エイリアン』(原題: Alien 1979年)の日本初公開時のキャッチコピー「宇宙では、あなたの悲鳴は誰にも聞こえない」を連想させるだけの虚無感がある。
一方で「宇宙に一人、取り残された主人公が、自分を見捨てた地球人の同朋や、故郷に対する復讐心から、死ぬこともままならず、いや復讐を果たすまでは死なず、怨念と科学の力で己を変えて、怪物と化し、故郷へ復讐へ向かう話」と(多少バイアスのかかった形で)プロットを語れば、ここに往年の名作刑事ドラマ『七人の刑事』(1963年~)で、芸術祭を受賞したドラマ界の金字塔『ふたりだけの銀座』を混入させることで、そのまま『ウルトラマン』(1966年)『故郷は地球』の、ジャミラの話にも通じるのである(『二人だけの銀座』『故郷は地球』共に、佐々木守氏脚本作品である)
この作品の与えた影響例としては、日本人ならば誰もが『サイボーグ009』の、島村ジョー009の特殊技能だと思っている「加速装置」が、SFではおそらく初めて用いられたというトリビアが有名。
同じ「石森章太郎氏と『虎よ、虎よ!』」で言うと、例によって例のごとく、Wikipediaには「怒りで顔に模様が浮き出るという設定は、石ノ森章太郎の漫画版『仮面ライダー』に影響を与えている」と(誰が書いたのか)記されているが、その記述は嘘ではないが、実は、その影響の連鎖は「そこ」と「そこ」ではない。
そもそもは、『ウルフガイシリーズ』等で知られるSF作家の平井和正氏が、この作品の大ファンであり、平井氏はもちろん、狼という動物とその存在性に、孤高で崇高な価値性を与え続けた作家だが、一方で本作『虎よ、虎よ!』の影響もあって、特に初期のウルフガイシリーズの頃はその傾倒も顕著で、少年犬神明シリーズのヒロインに「虎4(「とらよ」と書いてフースーと読む)」というコードネームのキャラクターを出したりもしていた。
というか、アダルトウルフガイシリーズでは、そのタイトルもまんまの『虎よ!虎よ!』というタイトルの作品があった。
平井和正版『虎よ!虎よ!』は、平井氏が原作を務めて、池上遼一氏が画を務めた、漫画版『スパイダーマン』で書いた原作(『虎を飼う女』)を、ある意味セルフノベライズした作品であり、1975年に、千葉真一主演、山口和彦監督で撮られた『ウルフガイ 燃えろ狼男』という劇場用映画は、この『虎よ!虎よ!』を原作としている。
虎の姿をした念力(いわゆる、『ジョジョの奇妙な冒険』におけるスタンドのような存在)を操り、自分を襲い辱めた男たちを殺せる能力を持った女性と、狼男の犬神明が出会い、虎を背負いし女性を、狼の男がどこまで守れるか、憎悪と愛情を併せ持った、小説家・平井和正黎明期ならではの、怨念と「人類ダメ小説」としては強力なドロドロさ加減を持つ『虎よ!虎よ!』であるが、元の『虎よ、虎よ!』主人公ガリーの、俗っぽくも下品な、人間としての、主人公としての「そうそう今までになかったタイプの主人公」っぽさも、平井和正作品に影響を与えたのかもしれない。
平井版『虎よ!虎よ!』で、虎の超能力を持つ女性は、むしろ愛すべき人物像として描かれていたが、それをとりまく芸能界(なぜか初期ウルフガイシリーズでは、主人公の設定がルポライターであるからか、悪漢たちの発端が芸能プロダクションであることが多い)の男たちの、醜さや下品さ、悪辣さにも通じる物がある。