さて今回はややこしいですよ(笑)
理由は読んでもらえば分かると思うけど、簡単に言ってしまえば今回の前後編は、「前編・第一作に対しては褒めちぎっているのに、後編・第二作に対しては辛らつな内容になっている」からなのです。

まずは平成ガメラシリーズ第一作になる『ガメラ 大怪獣空中決戦』(1995年)から。
これを最初に映画館で観た時には、本当にもう筆者は感涙に咽んだものである。
なんといったって時は90年代中盤で、本来「怪獣王」であるはずのゴジラ映画は(普通の映画を撮らせれば、ちゃんと実力はあったはずの)大森一樹監督の手によって「植物と動物を混ぜる」という「それ『帰ってきたウルトラマン』(1971年)で、同じ人がやったアイディアのリメイクじゃないですか」をやっちゃうとか、「怪獣の昇天と沢口靖子を合成」とか「チャック・ウィルソンが知的な未来人」とか、「『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985年)『ターミネーター』(1984年)を足しっぱなしにした上に、タイムパラドックス問題丸投げの素敵愉快映画に仕上げる」「三匹の(狙いすぎの)小悪魔怪物キャラ人形三体が、放射能でキングギドラに変身!」「中川安奈が操縦するメカキングギドラ」「高島忠夫一家がやたら出てくる」「怪獣同士の戦いと並行して、すごくどうでもいい夫婦の離婚話が延々展開する」「G細胞だか、腰に第二の脳があるだか、どんどんゴジラがトンデモな生き物にされてく」「ゴジラ出現を探知する、謎のゴジラレーダー超能力女がシリーズのレギュラー」「ゴジラに勝てない自衛隊が、ギャクギレしたかのようにどんどんスーパー戦隊化」等々、もはや、とてもじゃないが見ていられない惨状を、毎年繰り返していたのだ。

だからこそ、昭和ではゴジラに比べてむしろ格下・B級扱いだったガメラのリメイクが、平成ゴジラシリーズが忘れて捨て去っていた「本格怪獣映画らしさ」に溢れていたことは、本気で素直に嬉しかったし、自分の平成ゴジラ嫌いは、決して怪獣ファンとして、間違っていた反応ではなかったことを、再確認させてくれた。

そんな『ガメラ 大怪獣空中決戦』は、監督に実写版『みんなあげちゃう!』(1985年)で、栄えある一般映画デビューの場を掴み取りながら(それまではピンク映画監督だった)その作品内で、いきなりウルトラの母を登場させて、一部マニアを震撼させた金子修介
脚本は、主に押井守監督と名コンビで『機動警察パトレイバー the Movieシリーズ』など、数々の傑作を書き上げてきた伊藤和典
特撮は、元ガイナックス所属のアニメ畑出身で『新世紀エヴァンゲリオン』(1995年)等で、アニメの絵コンテなどを担当して、数々の特撮作品にも関わっていた樋口真嗣
この三人が、個々のイメージや作風を持ち寄りながら、あくまで昭和に制作公開された『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』(1967年)のリメイクとして機能しつつも、その旧作品へのオマージュも随所に捧げながら(野球場がキースペースになる。ギャオスは人を食べる。ガメラは炎がエネルギー。ギャオスの光線でガメラの腕が切れる。ギャオスが死ぬときは超音波光線が断末魔に放たれる。等々)新しい要素に溢れていて、しかも(あくまで個人の主観だけど)「本格怪獣映画の要素が漏れなくパッケージされた、最高級の娯楽映画」として、凛とした出来にこの映画は仕上がっているのである。

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