山際 僕は、そんな上手くやった方じゃないと思うんだけども、まぁこの話なんかだと、当時やっと流行りだした、雑誌に写真を売り込むフリーの女カメラマンみたいなキャラっていうのは、一種の(当時の)風俗(描写)ですよね。そういうものを描写することに、興味はありましたね。特に特別な物をやろうとはしてなかったんですよ。

――この話では、雑誌社の編集長役で、草野大悟さんが出演されていました。草野さんは、岸田森さんや松田優作さんも在籍していた、六月劇場という劇団の役者さんでしたが、こういった方面から役者さんを引っ張ってくるのも、山際監督のやり方だったんでしょうか。

俳優・草野大吾

山際 ああいう脇役の方達に関しては、比較的僕が自由に選んでいたんですよ。江夏夕子をぜひっていうのも、僕が言い出したんです。っていうのも、江夏夕子は、僕が松竹で、京都で撮っていた時代劇で『千葉周作 剣道まっしぐら』(1970年・脚本・市川森一 上原正三)というのがあったんですけど、そこで(江夏夕子が)千葉周作が通っている道場の、先生の娘役で出ていて、それがチャキチャキした江戸っ子娘の役で、周作の恋人という役柄だったんです。彼女は、新劇の役者でもなければ、映画出の役者でもない。なかなか彼女は、面白い役者さんだったんですよ。今、テレビに出てくる女優さんは、皆似たような感じでしょう? 誰が誰だか、顔で見分けられないような美人ばっかりなんだけど(笑) あの頃、なんか江夏夕子は個性があってね、面白かったんですよ。彼女は目黒祐樹と結婚しなければ、もっとスターになってたんじゃないかと、そう思うんだけれどもね(爆) そういう意味で俳優さんを選んだりするのも、比較的自由に出来た時代だったのかもしれませんね。

『ウルトラマンA』第29話『ウルトラ六番目の弟』脚本・長坂秀佳 監督・山際永三

――『ウルトラマンA』では『ウルトラ六番目の弟』などで、長坂秀佳氏とも組まれましたね。

山際 彼は根っからの社会派なんですよ。で、すぐ社会派な話にもっていき過ぎるんでね(笑) 僕が「まぁまぁまぁ」って言ってたくらいでね(笑) 組みにくいってことはなかったんですけど、僕もそれに乗るんですよ。乗るんだけど、結局「政治が良くない」みたいな話になっていくと、僕のテリトリーじゃないんで、なんかいろいろ別な面を入れてくれってことで、注文を出したことは覚えています。それに、彼は結構上手くは応えてはくれてたんですよ。だから彼のホン(脚本)は結構良いものなんだけど、あんま成功しなかった感じはありましたね。

――あの時代は、子ども番組に、社会派的なテーマを持ち込むケースが多かったですね。

山際 例えば社会派のウルトラマンといえば、『帰ってきたウルトラマン』で、『怪獣使いと少年』(脚本・上原正三)を撮ったのが、東條昭平さんでしょう? 東條さんが(社会派的に)やりすぎちゃって(笑) 非常に皆が困っちゃってね。僕がどうにかなんないのかなって思うくらいに、東條氏が肩に力を入れすぎちゃったんですよ。っていうのも、金城(哲夫)以来の円谷プロの伝統っていうものを、彼は助監督として見てきたわけだからね。なんとか自分も頑張ろうと、でちょっとやりすぎちゃってね。僕だったらもうちょっと、オブラートに包んで上手く通すんだけど(笑) それができなかったんですね。だから(長坂氏脚本の『ウルトラ六番目の弟』は)社会派というよりも、スポ根物みたいな印象ですね。

『ウルトラ六番目の弟』

――『ウルトラ六番目の弟』では、登場する大人が、子どもを守るために、超獣に向かって特攻して死んでしまう。でも、そんなお父さんのことを主人公は、「生きることを諦めたのではないか」と言い切ってしまう、そんな物語でした。

山際 彼はそういう強引なところがありましたね。向こう(長坂氏)に言わせれば、僕が強引だったのかもしれないけど(笑) 脚本家にも、器用に出来る人と出来ない人がいて、まぁ僕も結構たくさん脚本の直しをしたんだけど、特にあの時代は、脚本家から酷いって怒られたことはなかったですね。その後70年代後半になって、昼の帯ドラマなんてやりはじめて、その頃は某女流ライターからは散々ねじ込まれて(笑) 「あんなことまで書いてないのに、なぜやらせた」って、僕が責められて嫌な思いをしました(笑)

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

おすすめの記事