前回『山際永三インタビュー 第三夜「山際永三と『帰ってきたウルトラマン』と」』

『ウルトラマンA』テロップ

――それでは次に『帰ってきたウルトラマン』(1971年)の後に出来た、『ウルトラマンA』(1972年)の企画推移についてお伺いしたいんですけど。橋本(洋二 TBSプロデューサー)さんが陣頭指揮を執って、田口(成光)・上原(正三)・市川(森一)の三氏でコンペがあった、新ウルトラとしてのエースの企画だったんですが、山際永三監督はどういった形でその流れに絡んでおられたんですか?

山際 それは特になかったと思います。熊谷(健 円谷プロ プロデューサー)さんからまぁ「こういう風に話が進んでるんだ」とは聞いてたとは思うんだけど、企画内容は、男女合体は市川さんらしいやとかその程度で。僕には相談なんかはなかったですよ。

『ウルトラマンA』

――「巨大な化け物を宇宙人がシュワッチと倒す」というジャンルの番組を、二年連続で請負い監督するという部分で、監督の中で何か変化や葛藤のようなものはありましたでしょうか。

『ウルトラマンA』第4話『3億年超獣出現!』脚本・市川森一 監督・山際永三

山際 ウルトラシリーズは、SF、宇宙の話ってところから始まってね。怪獣が出てくるまで(の物語)は、沖縄出身者達は、沖縄戦の話とか、日本軍やアメリカ軍のいろんなものをベースにして、人間的な話をこめていて、それは面白かった。そこはもう、東映『仮面ライダー』(1971年)なんかとは当然違うわけですよ。まぁ怪獣が出てきちゃうと、後はウルトラマンが倒すしかないという、そこはまぁつまんないんだけど(笑) でも、実相寺(昭雄)さんなんかは怪獣の面白さってところに着目して、怪獣を殺すことなく宇宙へ放り上げて星にしちゃうから(笑) そういうファンタジーに仕立て上げて、怪獣映画の裾野を広げたからね。怪獣が出てくれば、防衛隊が出てきて、ウルトラマンが出てきてやっつけるという、そういうパターンで処理されちゃうもんで、どうしたって監督としては、つまんないという部分もあるんです。だけど僕はその頃は、PTA的な人達からね。「ウルトラマンは、暴力を礼賛する映画だ」なんて批判されたことがあって、僕はそれに対してそこで「戦後民主主義の教育が、『暴力は良くないことです。話し合うことが良いことです』って、建前ばっかりで、子ども達の裏側にある怪獣的な要素を、ないがしろにしてきた。それが戦後民主主義のダメなところだ」って理屈を言って、ウルトラマンをバックアップしたことはあるんです。まぁなんにしても、作家としては、パターンになっちゃうのはつまんないことなんですよ。ただ、今観ると『帰ってきたウルトラマン』なんかが、僕なんかにとっては、意外に面白かったなと思うんです。特に『許されざるいのち』とかね。『ウルトラマンA』は、まぁ小さな話になっていっちゃったんで、隊員の人間関係の話とか、そういうのになっちゃって、ちょっとどうかなというのがあるんだけれども。『ウルトラマンタロウ』(1973年)はまた、幼稚園の子どもをターゲットにして、ほら吹き男爵的な方向へどんどん行って、これはこれで「楽しい子ども向けの物語」っていうのをやってた。まぁタロウをやる頃には、僕も比較的、パターンに嫌気をさすって事もなくなってきてね。

『帰ってきたウルトラマン』第34話『許されざるいのち』脚本・石堂淑朗 監督・山際永三

――『ウルトラマンA』のメインライターは、山際監督とかつては『コメットさん』(1967年)『恐怖劇場アンバランス』(制作1969年 放映1973年)などで名コンビを組んでいた、市川森一さんでした。

市川森一氏

山際 それはまぁ、あのころ(『コメットさん』)は、市川さんとのピークでね。一緒にドラマを作っていて『ウルトラマンA』の辺りになると、ちょっとまぁ、市川さんの作り方が大人向けになっちゃってね。子どもが観たときの面白さがない、というのが、何回かあったかもしれないです。

『3億年超獣出現!』

――『3億年超獣出現!』などですね。この話などでは『ウルトラマンA』は男女が合体するヒーローなので、市川氏自身が性というものを、非常に意識したのではないかと思うのですが。

『3億年超獣出現』

山際 そうですね。

――例えば市川・山際コンビによる『ウルトラマンA』は、作品という意味では『3億年超獣出現!』という、怨念を抱いた漫画家のエピソードと、『超獣10万匹!奇襲計画』という、じゃじゃ馬女性のエピソードが、男女の恋愛と、そこで巻き起こる悲喜劇、そして、女性はいつでも現実的であり、男の純情は理解されないという、同じテーマを、視点を変えて、かたや怨念劇、かたやコメディで、描いて見せたという相似形のように思えるのですが。

『ウルトラマンA』第9話『超獣10万匹!奇襲計画』脚本・市川森一 監督・山際永三

山際 そうですよね、似てますよね。(『超獣10万匹!奇襲計画』は)二番煎じではないかという印象はありました。でも、僕もそういうじゃじゃ馬の女を描くというのは嫌いじゃないので。まぁ、エースも後半になってくると、宇宙のいい話ががなくなって、「あぁ、あれはもう(過去に)やったよ」とか、そういう話になってしまって、段々話が小さくなっていっちゃうのね。宇宙(の話)から、じゃじゃ馬の女カメラマンの話なんてなっちゃう(笑) 写真の中から(超獣が)出てくるなんていうのはね、それだけがSF的なフィクションであって、後はもう、ごく普通のドラマなんだよね。

『超獣10万匹!奇襲計画』

――あのじゃじゃ馬カメラマンなんていうのは、『コメットさん』なんかに通じるキャラクターですよね。

山際 そういうところがありますよね。ガランの話は、ちょっと江戸川乱歩的な世界でね。江夏夕子(『超獣10万匹!奇襲計画』におけるメインゲスト。TACの今野隊員を振り回す女カメラマンの鮫島純子役)のときはもう、すっかり江夏夕子のキャラクターの面白さでいこうってことになっちゃって。これじゃ、すまないけど宇宙の話が好きな人達には、申し訳ないなって(笑) そういう気持ちはありながら、まぁいいだろうってことでやってるわけですよ。

『超獣10万匹!奇襲計画』より、江夏夕子

――監督は、ファンタジーの脚本を、いかに現実に落とし込むかという話をされていましたが、エース期は上がってくる脚本などに、非常に「人の怨念」といったものが、そこに描写されていることが多かったわけですが、そこでの技法的な、監督なりのやり方はどういう形でしたでしょうか。

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