80年代までの日本SF文壇は巨大なショッピングモール
「それ」はまさに、巨大なショッピングモールか商店街、多少矮小な言い方をすれば、高級フランス料理から老舗の寿司屋までが並んだ飲食店街かフードコート。当時の筆者の目には、日本SF文壇は、確かにそう目に映っていたのだ。
筆者にとって、まだまだ仰ぎ見る大人たちが構成していた「日本SF文壇」は、そこで明確なルールがあったわけでもなく、日本SF作家クラブによる規約があったわけでもないのに、そこでSF作家を名乗る戯作者のほぼすべてが「過去の誰かが編み出した、SFのジャンルや形態、作家性の模倣を自分の作家性とはしない」「自分がSF作家を名乗るにあたっては、必ずと言っていいほど、前人未到で誰も手が付けたことのない、SF的創造性やジャンル、文体や作家性を生み出し、自分が一人増えることで、日本SF文壇全体の、幅の広さや邁進や、文学における多様性への示唆に貢献する」という特徴を兼ね備えていた。
「世界や人類の滅亡、クライシスに対して、人類が英知を結集して運命に挑む大作SF」であれば、『日本沈没』『さよならジュピター』『首都消失』等の小松左京氏が最も得意とするところであろうし、神話や冒険、悠久の時間の中での抒情詩であれば、『宇宙年代記』『百億の昼と千億の夜』の光瀬龍氏であったろう。
NHK少年ドラマシリーズを思わせるような、思春期の少年少女を主人公にした、ジュブナイルSFであれば『ねらわれた学園』『なぞの転校生』の眉村卓氏だったろうし(『幻影の構成』他のインサイダーSFも眉村氏の独壇場だったが)、緻密で精巧なタイムトラベル小説は、長編、短編共に『マイナス・ゼロ』『タイムマシンの作り方』の広瀬正氏のメインフィールドだった。
「無国籍」ならぬ「無特定未来」を舞台にした、徹底したショートショートによる寓話は、それこそ『ボッコちゃん』『マイ国家』などの星新一氏が、日本のSF黎明期を牽引した原動力であっただろう(その功罪の一つとして、その黎明期においては、出版社や編集者の多くに「SFとはショートショートのことだ」といった、誤った認識が広がった時期もあって、小松左京氏や広瀬正氏等、明らかに長編向きの作家であっても、ショートショートの依頼しか来ないという時代もあったらしく、よく往年のSF作家同士の対談では悪意のないネタにされ、星氏が責められていた(笑))。
また、サイエンスを伴わない、心理学や精神性、社会風刺、ナンセンス、狂気という概念を小説の核として多用したのは『ベトナム観光公社』『脱走と追跡のサンバ』の筒井康隆氏で、後の小池一夫式「キャラを起たす」作劇で、ファンを魅了する作風を確立したのは、『狼男だよ』『幻魔大戦』の平井和正氏であった。これは平井氏が、作家としての黎明期から、漫画原作やアニメの脚本等に携わっていたからでもあるが、同じくアニメ脚本を多く手掛けた豊田有恒氏の『アステカに吹く嵐』『モンゴルの残光』等は、広瀬氏とはそもそも概念が違う形での(『タイム・パトロール』に傾倒した、洋物SF風味の)タイムトラベル小説を主軸にしていた。
伝奇綺譚と純文学の融合という、斬新なアイディアをSFに持ち込んだのは『石の血脈』の半村良氏であったし、その伝奇綺譚に、ジュブナイル的冒険活劇要素が構造として構成されていたのが、『カムイの剣』の矢野徹氏であった。
高斎正氏の作品群には、宇宙も、過剰な未来も登場せず、ただただ(元々高斎氏が帰属していた)モータリゼーションの進歩と、モータースポーツの未来のシミュレーションとして『ホンダがレースに復帰する時』『トヨタが北米を席巻する時』などのジャンルを多く手掛け、一方で「S(Science)F(Fiction)」の究極の醍醐味である、ハードSFの世界に浸りたいのであれば、『太陽風交点』『バビロニア・ウェーブ』堀晃氏が圧倒的な完成度で作品群を送り出していた(どうでもよいが、この堀氏の『太陽風交点』といい、平井和正氏の『狼男だよ』といい、面倒な裁判沙汰が散見されるのも、当時までの日本SFの「あるあるネタ」ではあった)。
その他でも、リリカルでメランコリックなSFを書かせたら他の追従を許さなかった『美亜へ贈る真珠』『おもいでエマノン』等、SF界きってのロマンチスト派の梶尾真治氏や、筒井康隆的スラップスティックではなく、70年代後半以降のサブカル的パロディや知的ギャグをメインに押し出した、『宇宙ゴミ大戦争』『日本こてん古典』『ヨコジュンのびっくりハウス』の横田順彌氏等、誰もみんな「SF作家になるにあたっては、自らがオンリーワンのジャンルを築く」を、やってみせていたのが、80年代初頭までの、日本SF文壇のイメージであった。
それは、本格推理と社会派推理が、二極化で袋小路に入っていった、あの時期のミステリーとは違い、「SFとはS(Speculative)F(Fiction)でもある」といった、当時のSF文壇牽引陣における啓蒙にも表れていて、それこそ『ベトナム観光公社』や『狼男だよ』の、どこにScienceの要素があるのかと問われてしまえば、少なくとも日本文壇におけるSFは、この時期までは「大衆日常系ではない、推理やhard-boiledのみではない、創造的娯楽文学の可能性」を、全て網羅した、究極の文学であるともいえていたのは事実なのだ。
それが筆者の、見識の低さや欲目でなかったことは、本書における『第四項 花ざかり、日本のSF』で、小松氏自身の紹介による、日本SF作家群の紹介でも語られている。
そこでは、小松氏による、冷静で客観的で、しかし同朋の有志達に対する情愛の念を込めた紹介が、それこそ当時の日本SF作家の数だけ、連なって記述されているのだが、それを読んだ筆者は「そこ」で改めて「もし、自らがSF作家になろうとするならば、自分がゼロから、誰も手を染めていないジャンルを生み出し、構築し、誰にも真似できないレベルで、一国一城の主にならなければ、その資格は手に入らないのだ」と確信し、その段階で半ばあきらめてしまった記憶が、今でもはっきりと、記憶のかなたに手応えとして残っている。
先ほど、日本SF文壇を、ショッピングモールかフードコートに例えたが、凄腕の板前が、最高級の新鮮な魚介類を仕入れて暖簾を上げている寿司屋に入って、イタリアン料理を注文する馬鹿もいないだろう。
むしろ、イタリアンであれば、本場で学び、オリーブオイルの審美眼から、ワインの選び方まですべてを心得た上級者が経営する店が、すぐ隣にちゃんと存在していて、両者は決して客層が被ることがない代わりに、双方して、その、フードコートなり、飲食街を支えている。当時の日本SF界は、いわばそういった形での「作品の主君であり創造主である、一騎当千の作家たちが、互いの守備範囲が決して被ることなく、SF文壇の一角を担いあう」本当にそういった構造で成り立っていたのだ。
無論、例外はある。
上でも書いたが、星氏の影響で、苦手なショートショートを書かされ、それでも傑作を残した作家は山ほどいるし、眉村氏は確かにジュブナイルSFの日本文学の筆頭だが、同時に氏はインサイダーSFの名作も執筆している。むしろ、そういった眉村ジュブナイルと並んだ名作SFジュブナイルとして知名度が高い、筒井康隆氏の『時をかける少女』は(間に『七瀬ふたたび』が入るとはいえ)、映画化も何度もされた、世間的筒井作品の代表作だが、むしろ筒井氏の作風的にはイレギュラーな異色作だったりするし、半村氏の話題に戻れば、こちらも半村氏の映画化メジャー作品として名高い『戦国自衛隊』などは、むしろ半村氏の作風の中では一番異端に数えられる作品であって、実際原作たる小説は、文庫本一冊にも満たない、ショートショート以上、中編未満という尺で書かれている。
また、SFに必須の「論理的思考」は、優れた戯作者が有すれば、SFとミステリーとを自在に往復することも可能で、『神狩り』で知られる山田正紀氏にも『贋作ゲーム』という作品があるように、広瀬正氏にも『T型フォード殺人事件』という傑作本格推理小説があるように、他にも都築道夫氏をはじめ、あの時代から既に、その両ジャンルを往復できる作家も少なくなかった。