本当に、ガメラやレギオンのような「未知の巨大怪獣」が目の前に現れれば、実際には状況下で平常心を乱す隊員もいるだろうし、逃げ出す隊員がいたって当たり前で、「そういう描写」が少しでもあれば、この映画ももっと現実味が増したであろう。
しかし、この映画は「そういうリアリズム」を描かなかった、いや「描けなかった」のだ。
それは、この映画が怪獣映画としては成立不可能ギリギリの低予算バケットであり、なんとかして、実存する自衛隊・防衛庁の全面協力を得ることで、非現実化し過ぎた東宝のゴジラシリーズと差別化できると同時に、初めて「怪獣映画らしい絵面」が成立するという、不文律に支配されていた企画だからだ。
(実際、平成ガメラシリーズ内で、陸上自衛隊の戦車が怪獣に破壊されるシーンはあるが、航空自衛隊の戦闘機が怪獣に撃墜されるシーンは一つもない)
そうなれば、この映画はある意味で「スポンサー・防衛庁」なのだから、そこで作られる作品が、スポンサーのことを悪く描くような真似は、資本主義社会のルールとして厳禁であるばかりではなく、むしろ少しでも、スポンサーの印象を良くする映画作りを心がけなければいけない。それがプロというものではある。
しかし、そうして「自衛隊のプロパガンダ映画」としての側面への義務を背負った結果、このガメラ映画(特に『ガメラ2 レギオン襲来』は)怪獣映画史においては、空前の威力を誇る、現用兵器の対怪獣効果の凄さも含めて、映画製作側と、協力する自衛隊側の双方の「初作での協力相乗効果を踏まえた『怪獣映画への自衛隊協力』効果の有効活用」が、あざとすぎてしらけてしまうレベルに達してしまっている。
それはある意味好意的に解釈するならば「現状の自衛隊の兵力・組織力・装備でも、本気になって、全てがしっかりと機能しさえすれば、こんな強大な怪獣のような存在が、もしも本当に現れたとしても、これくらいのことは出来るはずなのだ」という、希望を込めたシミュレーションとして成立しているとも言えるだろう。
筆者とて、現役の自衛隊員や、元自衛官の知り合いなどは何人かいるが、一人ひとりは本当に頑張って、激務の毎日を過ごしている人が多く、国防という巨大な任務の中で、懸命にそれをこなそうと頑張っていることは知っている。
だから、筆者自身は現場の自衛隊員を貶めたり、批判するつもりは毛頭ないが、しかしこの映画での自衛隊の描き方はむしろ、そういった「今まさに現実と戦う自衛隊員」に対して、本心から敬意を持ったリスペクトとして機能するのかと問われれば、半分はそうなのだろうが、半分は「本当は君達はこうあるべきなのだよ」とばかりに、シニカルな働きかけをするかもしれないし、穿てばどちらとも受け取れるのである。
しかしそれは「自衛隊員ではない、映画を観にきた大多数の国民」にとっては、そもそも全く関係のない問題点であることも確かなのである。
「『少女と怪獣』というテーマへののめりこみ」「仮想敵として『平成ゴジラシリーズ』を意識しすぎたコンストラクチュア」「経費削減とリアリズムの両立を狙った自衛隊協力のもたらしたアピール臭のきつさ」
『ガメラ2 レギオン襲来』という作品は、その三つの要素が無作為に絡みすぎた。
だがそれはまだ、本作ではギリギリの位置で踏みとどまり、娯楽の域に留まるが、『平成ガメラシリーズ』自体は次作で、いわゆる典型的な「セカイ系」に成り下がり、「映画に協力すれば、国民へのイメージアップが計れる」と味をしめた自衛隊の側は、その後も『戦国自衛隊1549』(2005年)や『日本沈没』(2006年)等で、民間会社の映画に惜しみない協力の手を差し伸べて、その代わり、自衛隊の必要性と素晴らしさと格好良さを、充分にしらしめてもらおうという、広告代理店的戦略に目覚め邁進していくことになる。
本作ではそのラストでは「人類がガメラの敵になりませんように」という、祈りを込めた台詞と共に、物語が締めくくられるのだが、実際の次作『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』では、そこで登場する少女の視点によって、ガメラの存在がそのように描かれるという、まさに「セカイ系」としか言いようのない展開を見せた挙句、平成ガメラシリーズ自体がなんらかの明確な回答や、結末を迎えることも無く、世界観にケリをつけるでもなく、かといってざっくり打ち切られるわけでもなく、結局、なにもかも有耶無耶にしてひっそりと継続し、やがて消えていったのは、それは筆者には、誰もテレビをつけるわけがないレベルの深夜帯に、ひっそりと放映されつつ、世間一般の誰にも認知されずに、一部のオタクやマニアのHDDレコーダーの中だけに、ひっそりとデータとして残される『深夜アニメ』の存在感と、被って仕方がないのである。
それが良い、悪いという問題ではなく、所詮は「怪獣映画」なる企画骨子が、昭和の時代にその幸福だった記憶を併せ持つ、一部のマニアやオタク達か、怪獣なる存在が画面で暴れていさえすれば喜ぶ年齢の、幼い子どもくらいしか、映画館へ呼び込めないことを『平成ゴジラシリーズ』とコラボする形で、『平成ガメラシリーズ』は、証明してみせてしまったということなのであろう。
2021年現在。
大映の権利化権は、平成ガメラシリーズ当時の徳間書店ではなく、根幹はライバル会社である角川へと移籍され、そこでは一応「角川大映ブランド下での仕切りなおし」として『小さき勇者たち~ガメラ~』が制作されたが、それ以降は、ガメラシリーズの復活を願うファンは多いが、実現はされていない。
その代わり「怪獣ファンの『こういうのが観たかったんだ!』映画」は、平成ガメラの特撮監督の盟友が撮った、プライベートムービーが日本を席巻して居座るようになってしまい。ゴジラはむしろ米国から逆輸入されたり、そのまんま文字通り深夜アニメになったりした。
あれだけボクタチを熱狂させてくれた『平成ガメラシリーズ』は、今思うと「時代のあだ花」だったのかもしれない。