さて。まずは登場する兵装に関してだが、基本的に陸・海・空という構成で言えば、漫画も小説に忠実に、60式装甲車(APC)海上自衛隊哨戒艇 V107バートルヘリコプターという組み合わせは同一。
その上で登場人物。
映画版『戦国自衛隊』では「無敵、武田騎馬隊に挑む、若き自衛隊員21名」というキャッチコピーが、予告編等で、声優の広川太一郎氏のナレーションで語られていたが、原作小説でも漫画でも「30名」という表記はあるが、それが正確に30人なのか、だいたいの人数なのか、それは小説でも漫画でもはっきりはされていない。
小説原作版の自衛隊側の登場人物で、名前が明確になっているキャラの一覧を一応作ってみた。()内は小説内で描写されている、特徴的な描写や立ち位置である。
伊庭義明三尉
島田秀勝三曹(60式装甲車 車長 古参隊員)
丸岡一士(島田の部下)
木村士長(普通科連隊陸士長)
平井士長(二十一歳 第一師団輸送部隊「がっしりした」「大声」)
加納一士(十九歳 「歴史通の」武器隊員)
佐藤二士(第十二師団 補給隊員)
県一士(「眼鏡をかけた」「クリスチャン」)
清水一曹(ヘリのパイロット)
三田村三曹(海上自衛隊 哨戒艇の責任者)
漫画版オリジナルキャラとしてここに追加されるのは、後述する「池田二士」と、ヘリ墜落のシーンで、ほんの少し名前が判明した、サブパイロットの「山田三曹」、あとは最終決戦となる「妙蓮寺の変」で、突入してきた敵を発見した、「サングラスに髭の長髪隊員」と、こちらはそのシーンで槍で貫かれて死ぬためだけに出てきたかのような、眼鏡に髭の太った「土山」だけ。もしかすると、この「土山」は、漫画を担当した田辺氏と共に、同時期に望月三起也氏のアシスタントをしていた、漫画家の土山しげる(『喧嘩ラーメン』『野武士のグルメ』等)氏がモデルなのかもしれない。
基本的には、原作小説でキャラが起っていたのは島田三曹ぐらいのもので、さすが、ラストには生き残って、史実に残る武将になるほどだけあって、作中ではAPCの車長として、肝の座った無頼漢として描かれ、それをビジュアル化する時には、小説挿絵の永井氏も、漫画化の田辺氏も、ある程度モデルになった武将を踏まえてか、体格の良いガッシリ型の豪傑という雰囲気で描かれていたが、映画化ではあまり割の良い役ではなく、原作小説や漫画ファンを少しがっかりさせたのではないだろうか。
逆に「県はインテリ」は、小説での印象を漫画が補完するように、典型的メガネ君キャラで造形されており、こちらはむしろ、映画版ではその論理的な思考癖も生かされつつも、原作での平井や木村を差し置いて、常に伊庭の傍で(渡瀬恒彦演じる矢野に「茶坊主になにが分かる!」とまで言われながらも)参謀的部下として、右腕を務めていたのが印象的であった。
登場人物的には概ねこの程度の違いだが、いざ物語の展開やディティール、膨らませ方の部分になると、いろいろ面白い点での「小説と映画とのジョイント」が見えてくるのが、この作品3メディア対比の面白いところである。
小説版における、伊庭達自衛隊と長尾平三景虎との初対面は静かな会話だったが、漫画版ではまず、いきなり景虎の部下が弓矢を放ってきて、それへ島田三曹がAPCでマシンガン掃射。その後、馬に乗り単身襲い来る景虎に、伊庭がライフルで応戦。あえて長尾自身を狙うことなく馬だけを撃ち、景虎に感服させて和解する展開となる。加えて、漫画版では早くもこの段階で、景虎が後の上杉謙信であるという「昭和の知識」が披露される。
また、映画版では、景虎と伊庭の出会いは小説版に近い邂逅で描かれるが、その直前に自衛隊員達は、いきなり戦国時代の弓矢の洗礼を受けることになる。実はこの展開は漫画版にもあり(あぁややこしい)漫画版で自衛隊をいきなり弓矢で襲うのは景虎勢なのだが、映画版だと、川を挟んで景虎勢と敵対関係にある、黒田長春の軍勢の弓矢に、伊庭三尉たち自衛隊員はいきなり襲われ、その後、改めて景虎と平和的に出会うという算段なのだ。
なので、今回の漫画版『戦国自衛隊』レビューでは「映画版『戦国自衛隊』は実は、この田辺節雄漫画版独自の要素も、取り入れられた構造なのではないか? むしろ正規の原作は、こちらの漫画版なのではないか?」を、仮説として全体論を整えて進めていきたい。
物語序盤。伊庭達の元から帰ろうとした景虎が、黒田勢の物見と遭遇し、剣を交える中、周囲に対しては「撃つな!」と言っておきながら、伊庭自身が真っ先に銃を手にし参戦し、景虎を救うまでの展開は、文庫本にして2ページ少し。しかも、景虎のピンチに伊庭が思わず「景虎、死ぬな」と、我を忘れて突撃してから事態終結まではたったの6行という淡泊さだ。一方、田辺漫画版は、さすがにアクション漫画家としての本領を発揮し、ここだけで15ページを割いて、師匠の望月三起也調アクションバトルシーンをこれでもかと描きまくっている
また、映画版でも序盤のアクションシーンの突破口になる、黒田長春討伐の戦国時代VS現代自衛隊の本格的初対決も、小説だと7ページに満たないが、漫画版では戦闘開始から、長春の首を取るまでに、ダイナミックな構図の戦闘シーンが30ページに渡り、ワクワクさせる展開で描き切られている。
ちなみに、黒田長春の首をとったのは、漫画版と映画版では景虎という演出だが、原作小説では、逃げ場を失った黒田が、長尾方の雑兵に取り囲まれて自刃するという流れになっていて、この辺りも「映画『戦国自衛隊』の原作は、田辺節雄漫画版である」説を補強していて面白い。
ちなみに、漫画版が貴重な形で、映画版の原作となりえたオリジナルの部分は、戦闘シーンだけとは限らない。
黒田勢を退治し、「越後に神兵が舞い降りた」とされた直後の展開で、小説はそのまま急ぎ足で小泉越後守へと向かうのだが、小説で、たった数行で終わらせられたこのくだり。
夏が過ぎ、山のあちこちに柿の赤い実が見えるようになると、若い隊員たちは大きな焚火を意味もなく燃やすようになり、その火を囲んでいつまでも故郷の話に花を咲かせていた。
原作小説『戦国自衛隊』
「いったい、いつまでこうやって……」
誰もかれもがふたこと目にはそう言った。
このシーンを田辺漫画は1シークエンスのサスペンスアクションにアレンジした。
孤独と不安に耐えきれなかった隊員の一人(これが前述した「池田二士」)が、ノイローゼをこじらせすぎて、“あの”タイムスリップと同じ衝撃を、人為的に起こせば、昭和に戻れると思い込み、焚火のたいまつを手にして、火薬燃料に向かって自暴自棄に突撃してしまうという展開だ。映画版ではこのシーンは、悪役的立ち位置の矢野が投げたナイフで、たいまつを手にした隊員が一撃で殺され事なきを得るが、漫画版では池田は、隊員たちに取り押さえられ、鎮静剤を撃たれるという展開で収まる(漫画版ではこの時点ではまだ、自衛隊員に誰も死者が出ていなかったためというのも、収め方の違いの温度差であろう)。