一方、過激とやるせなさの一途をたどったのは、大人向けの犯罪ドラマだけではない。
あくまで(一応あくまで)視聴者層を子どもに絞っていたはずの犯罪ドラマ『ワイルド7』(1972年)も例外ではなかった。
佐治乾、蘇武路夫、神波史男、高畠久、永原秀一といった脚本陣や、長谷部安春、江崎実生といった、日活ニューアクションからはみ出て、その後東映・東宝系アクション刑事ドラマへ向かう、エネルギー溢れたスタッフを、国際放映で集めて作られた結果、漫画が原作の子ども向けドラマであるはずなのに、宇宙人も怪獣も出てこないまま、ただただ毎回毎回ひたすらと、敵も味方もマシンガンを撃ちまくり、銃弾が撒き散らされて死体の山が築かれたこのドラマ。
そんな、時代の申し子のようなこの『ワイルド7』であるが、その中の一本、特撮やアニメでマイノリティルサンチマンを暴走させていた脚本家・上原正三氏の傑作『200km/h心中(監督・六鹿英雄)』では、かつて上原氏がメインライターを務めていた『帰ってきたウルトラマン』(1971年)で主人公ウルトラマンに変身する主役を演じていた団次郎がゲスト出演し、ブルジョワの娘と恋に落ちて、『俺たちに明日はない(原題:Bonnie and Clyde 1967年)』のボニー&クライドよろしく、スーツ姿でマシンガンを二人で乱射し(あえてはした金の)強盗を繰り返し、「見えないアメリカ」へ向けて(単なる海岸線を)バイクや盗難車でただひた走るも、ラストはそのまま、大銃撃を受けたシーンに大音量のアメリカ国歌が被さり、朽ち果てていくだけの終わり方だった。
また、東宝ニューアクション出身の西村潔監督が、藤竜也、沖雅也、柴田恭兵、長谷直美らが活躍する東宝の刑事ドラマ『大追跡』(1978年)で撮った『暴行魔W(脚本・和久田正明)』では、女装して女性を襲う暴行魔の連続暴行殺人が描かれる。
その連続事件の中で、一人だけ助かった女性の証言を元に捜査が展開するのだが、結果、一時的に犯人は捕まるも、その女性自身が「事件のせいで、精神がおかしくなってしまった」と診断されて、その証言能力が却下されてしまって犯人は釈放されてしまう。
その当時、実際にカンフーブームの聖地・香港までロケに行って「香港空手シリーズ」などの痛快娯楽路線で好評を博していた『Gメン'75』(1975年)だが、ブルース・リーばりの倉田保昭の空手アクションなどで隠れがちではあるが、この作品は、その合間を縫う形で、様々な不条理な社会の現実を描いてもいた。
そんな切なさ全開の典型例が、高久進が脚本を書いて高須準之助が監督をした『逃亡者』。
ひょんなことから、ゴミの山の中から札束を見つけてしまったゴミ回収の夫婦が、峰岸徹(『ワイルド7』の初代飛葉ちゃん)演ずる悪徳刑事に見つかって、金を奪うためだけに、そのゴミ回収の家族全員を射殺してしまう。刑事だから、自分が逮捕されるような証拠は残さないし、捜査も操れる。Gメンですら手が出せないまま、やるせなさだけを残してエンドタイトルが流れる。
あと、やはり侮れない(侮ると報いを受けそうな)のが、汗まみれで、老体に鞭打ちながら、残った寿命の蝋燭の炎を、バーナーのような火力勢いで燃え滾らせながら、下着泥棒やテレホンセックス魔を、死に物狂いで追いかけたり、老体なのに殴られ、血まみれになりながらも、死んでも(いや死なないけど)ひき逃げ犯や爆弾魔を逃さない、大滝秀治が主役を張った回の『特捜最前線』(1977年~1987年)だろう。