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「表層的ロリコン論」Vol.3

「表層的ロリコン論」Vol.2

「表層的ロリコン論」Vol.1

『祭りのあとにさすらいの日々を』これは筆者が敬愛する、脚本家の市川森一氏が、1974年に大ヒットを飛ばした名作ドラマ『傷だらけの天使』最終回のサブタイトルなのだが、80年代前半に日本中を席巻した「ロリコンブーム」というお祭り現象も、その終焉は実にあっけなく訪れた。

発端は、いつの時代でもそうであるように、70年代の左派運動や、90年代のカルト宗教がそうであったように、現代のヘイトスピーチがそうであるように、「野放図に、野放しになっている、反社会的な存在への、嫌悪感からくる排他」であった。
行き過ぎた少女性的表現メディアの数々は、まず実在する少女モデルを使った写真集や雑誌などへの、摘発や圧力などからはじまり、『ヘイ!バディー』のように廃刊に追い込まれたり、『ロリコンランド』『プチトマト42』が、発禁処分を受けたり摘発されるなど相次ぎ、ロリコンは弾圧の崖に立たされることになった。

そして決定的であったのは「ロリコン この世の春の80年代」が、数字としてまさに終焉を迎えようとする、1988年から1989年にかけて発生し、日本全国を震撼させた、宮崎勤死刑囚による「警察庁広域重要指定117号事件」いわゆる「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」がもたらした、衝撃とショックだろう。

事件当時、社会を震撼させた新聞記事

本論の筋とはまた違ってくるので、事件の詳細を記すことはここでは控えるが、(後年のオタク擁護論者は否定するが)ロリコン文化に浸りきった30歳手前の大人の男が、4歳から7歳に至るまでの4人の少女を、短期間で次々と誘拐して凌辱した上で、殺害したこの事件は、日本戦後犯罪史でも指折りの記録に残る、凄惨な事件として、今も語り継がれている。
異論や反論もあろうが、筆者のようにリアルタイムでロリコンブームを、脇で白眼視していた身からすれば「それみたことか。調子に乗り過ぎたロリコンブームが、とうとう『こんなモンスター』を、生み出しちまったじゃないか」としか、言いようがなかったのも実感である。

宮崎勤死刑囚が、ロリコンであったのか、ペドフィリアであったのか。アニメ・漫画の影響を受けたのか、その影響はありえないのか、それらは些細な問題であった。
偶然では片づけられない、この「80年代を荒らしまくったロリコンブーム」「80年代の終幕に起きた、ロリコン連続殺人」を、全くの無関係として捉えることは、社会学的に無理がある。

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