『警視庁殺人課』(1981年)に至っては、主役は「ニューヨークから帰国したばかりの、ミスターと呼ばれるエリート刑事」なのに、その主役・ミスターを演ずるは、この頃はもう『仁義なき戦い』シリーズ(1973年)のイメージを脱却し始めて『トラック野郎』シリーズ(1975年~1979年)の一番星桃次郎として認知されていた菅原文太
「ニューヨーク帰りのエリート刑事、ミスター(笑)菅原文太(ここ、笑っていいところだと個人的には本気で思います)」
 菅原文太がテレビドラマで、しかも現代劇で主演するのは初めてということもあって、東映任侠映画プロデューサーの頂点ともいうべき、俊藤浩滋が陣頭指揮を執り、石原プロ『大都会』シリーズにおいて、渡哲也のバックに常に石原裕次郎がいたように、菅原文太のバックに、こちらもドデカイ大物・鶴田浩二をすえて勝負に出た。


 脚本ローテーションには、後に戦隊シリーズなどでメインを勤めることになる杉村升や、70年代序盤の東映の『ハレンチ学園シリーズ』『女囚さそりシリーズ』を支えた鴨井達比古などを投入。
 監督には、後に『極道の女たち』シリーズを撮ることになるヤクザ・任侠映画の巨匠・中島貞夫を迎え、万全の布陣を敷いた(つもりだった)。しかし、平均視聴率は8.0%と今一歩振るわず、2クール26話をもってして刑事側レギュラーが、前後編最終回で全員殉職するという(笑)そのサブタイトルもそのままズバリ『警視庁殺人課 全員殉職!』で終わりを遂げた。
 仕事も人生も、ヤケになると碌なことがないと、文太兄ぃは体で教えてくれたのだ。

次回は『犯罪・刑事ドラマの40年を一気に駆け抜ける!(70年代をナメるなよ)』Part9

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