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「表層的ロリコン論」Vol.2

「表層的ロリコン論」Vol.1

80年代は、後の世代論総括などでは、よく「シラケ世代の年代」「空洞化時代」と呼ばれているが、筆者などはちょうど80年代に思春期を過ごしたこともあって、そうそう見下げられてたまるものかよ!という気概は持ってはいるが。
今になって、80年代そのものを振り返ってみた時には、確かに「相対化」が加速していった時代であったことは否めない。
人が、社会に対して物申したり、考えたりすることをやめて、ニューミュージックを聞きながら、自分個人の幸せと、自分に合せてくれる「自分にとってだけの“等身大”」を、求めていた時代でもあった。
70年代までの一体感を放棄した「時代の空気」は、「他人は他人。自分は自分の、自由」という空気を生み出した。それは、もう少し思考すれば「自分の日常と、全ての社会の問題は地続きである」という真理に到達するのだが、そこへ辿り着くまでの間に、人は皆、自分にとってだけ口当たりのよい「なにか」を見つけてしまい、消費することに没頭してしまう。

それは、前回までに端々で語ってきた「批評の放棄」にも顕著である。批評とは、本来表現者と拮抗し、剣を結ぶことで対等に位置する唯一の手段であり、存在意義である。しかし70年代終盤に差し掛かる頃、批評があまりにも、先鋭化し過ぎた一部の巧者達だけの物になってしまったため、そこまでついていけない者達によって、80年代に入る頃には「面白い物に対しては『面白い』とだけ反応すればいいじゃないか」という角度の反動が起き始めた。この時期発刊された、多くの小説の文庫本の解説文などでは、著名な作家や文化人などが書いた「この傑作を、四の五の理屈っぽい評論で語るなど、無粋な真似になってしまう。この小説に書きくわえるべき解説文は、ただただ『この小説は面白い』それだけでいいのだ」というような文章が、テンプレートのように並ぶようになった。

「批評を放棄した相対化」が産み落とした、もう一つの例として。表現への拮抗の、安易な(本質的には決して安易な手法ではないのだが)手段に「パロディ」という技法が流行定着してきたのも、80年代の明確な特徴であった。
パロディ自体は、これもロリコンと同じく起源は古いし、詳細を語り出すと長くなってしまうのだが、日本では、写真のモンタージュによるパロディ作品で、一気に70年代後半から、文藝春秋漫画賞受賞などで頭角を現した、マッド・アマノ氏等の作風などで、ジャンル化した流れがある。
アマノ氏は、既に70年代初頭で「パロディ事件」なる裁判沙汰で、名前だけは知られていたが、その時期ではまだまだ、パロディという手法そのものに対して、大衆の認知がまだ追いついている時代ではなく、パロディを受け入れるだけの余裕的土壌もなかったために、再評価はこの時期に至った。

筑紫哲也 マッド・アマノ『パロディ角戦争』

80年代に差し掛かる頃になり、その影響は、映画などよりも、日本では漫画作品に顕著で、『すすめ!パイレーツ』『うる星やつら』『マカロニほうれん荘』『Dr.スランプ』等々、映画やSF、音楽やアニメ、文学までをも、漫画作品内でパロディにする表現が、この時期一大流行を迎えていた(余談であるが、さすがにこの時期のパロディは「やり過ぎた」のだろう。上で挙げた漫画群は、どれも漫画界を代表する名作だが、現代では著作権の問題で、完全な形での復刊は、どれもなかなか難しい)。

パロディは、本来もっともクレバーな批評形態である。元作品のディティールだけを上手く抽出し、空洞化した入れ物の中に放りこんで、そこで起きる化学反応を見せることがパロディであり、その行為自体が批評的覚悟を持たなければ成り立たないのだ。
しかし、一歩間違えば「パロディ」は、元の表現が持つ意味性を、ただ喪失させるだけのテロ行為にしかならない危険性を持つ。そして、その上で、社会に問いかける、社会からの太刀を受け止める術に疲れていた、当時の市場は、とても安易に、「その一歩」「間違えて」しまった。

それまでの、少女を素材として扱ってきた表現には「なぜそこで、少女なのか」へのエクスキューズが、必ず前提論としてあった。しかし、この時期以降の「ロリコン作品」の多くは、そこでのエクスキューズを意図的に喪失させて、即物的な欲望の対象へと「少女」をシフトさせていくようになる。
そう。いわば「70年代的少女表現のパロディ化」であった。
少女表現を支えていた、重たく深く、暗いテーマや入れ物から、少女だけを抽出して、ただただ消費する。それは、先に述べた『ラ・ブーム』『翔んだカップル』等の系譜の、「少女主人公映画」への消費形態にも反映された。

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