今ある『009』の定説では「世界各地から実験体戦闘用サイボーグとして集められた9人が、正義の心に目覚め、悪と戦う戦士となり、やがてサイボーグとして生きていく中で、人間の尊さや命の重み、心の温かさなどを改めて感じるようになり、最終的には『天使』と呼ばれる、人類創造の宇宙人=神との壮大な決戦へ挑んでいく、SFロマンファンタジー」となっているが、果たしてそうだろうか?
筆者は実は、『009』の企画と発端は、もっとシンプルな娯楽アクション漫画であって、SFはガジェットに過ぎなかったのではないかと思っている。
バブル崩壊がまだ市民の間に浸透していなかった1989年、既に『かってにシロクマ』等でヒットを飛ばしていた相原コージ氏が画を担当して、編集家の竹熊健太郎氏が原作を書いた、漫画内幕業界ギャグ漫画に『サルでも描けるまんが教室』というのがあった。
その中で「売れる漫画家になって、漫画界の頂点を目指す!」というキャラ付けがされた、キャラとしての相原と竹熊の会話に、こんなやり取りがあった。
相原「今日は忍者漫画だ」
『サルでも描けるまんが教室』 より
竹熊「いきなりどうしたんだ、相原」
相原「今まで おれ達は今ウケてるまんがについて研究してきた。だが竹熊、今ウケてるものが 明日もウケているとは限らないのではないか? そこで おれは これからウケるまんがについて 考えをめぐらせたのだ。そして、今やすっかり見る影もないが、おれが子どもの頃夢中で読んでいた、あの忍者まんがこそが、これからウケるのではないか、とゆー結論に達したのだ」
竹熊「く…………くくくく…」
相原「な、なにがおかしいんだ、竹熊!?」
竹熊「いや、確かにおまえの言う通りだ、相原! 素晴らしい、おそれ入ったよ!」
相原「そうかあ」
竹熊「だが惜しいかな、一つだけ見誤っている。忍者まんがは、今のまんが界にも、脈々と生きているのだ」
相原「そ……そんなバカな……。だって現に どの雑誌を見渡しても、忍者まんがなど 影も形もないじゃないか!?」
竹熊「いや、確かに生きている! エスパーまんがに形を変えてな!」
相原「エスパーまんが!?」
『009』の初期編。ここでは便宜上、連載が始まった『週刊少年キング』の『誕生編』から『ミュートスサイボーグ編』までを枠に入れるが、ここでの『009』は、確かにベトナム戦争やアフリカ小国独立運動などの、反戦・社会派テーマを軸にしながらも、漫画としての帰属ジャンルはアクション、それも忍者漫画がベースにあったのではないかと、筆者はまずは予測するのである。『009』連載当初の1964年当時は、『サスケ』(1961年)『カムイ伝』(1964年)『ワタリ』(1965年)などの白土三平氏による作品や、横山光輝氏の『伊賀の影丸』(1963年)等々、少年漫画では、忍者漫画が大ブームの時期でもあった。忍者漫画のセオリーといえば、常識や通常の鍛錬では繰り出せないバトルの忍法の数々と、物語を引っ張るコンセプトとしては「組織を抜け出した“抜け忍”を、口封じと掟のために殺す任務を担った刺客が襲い、死力を尽くした戦いが読者を引き込む」というのが定番であった。
1989年において「忍者まんがはエスパーまんがに形を変えた」と、竹熊健太郎氏に言わせしめた元祖は、実は「時代劇」を「現代劇」に、「忍法」を「サイボーグ超能力」に置き換えた、石森氏の『009』ではなかったのか、というのが第一の仮説である。
コンテンツというのは作者の思惑以上に、編集者の意見や雑誌の編集方針が関与してくるケースは、これは漫画でも小説でも少なくない。実際、『009』が、単なる「戦争用兵器にされることを否定して、どこまでも逃げながら戦う009達と、それを執拗に追うブラックゴースト」という図式が貫かれるのは、キング連載の『ミュートスサイボーグ編』までで、その後は徐々に、壮大な地球内空洞説を用いてブラックゴーストとの戦いに終止符を打つのは『週刊少年マガジン』に連載拠点を移した『地底帝国ヨミ編』であり、そこからさらにハルマゲドンとしての「天使」や「神々」との最終決戦を描くに至るのは、雑誌『冒険王』や『COM』編である。
その後、石森章太郎氏はむしろ、師と仰ぐ手塚治虫漫画におけるロックやランプ、ヒゲオヤジといったスターシステムのように、『009』という登場人物達や世界観を借りて、そのときどきで、石森氏自身が惹かれるテーマや、挑戦してみたいジャンルや技法などを、手堅く仕上げるための定番基礎として、『009』という「入れ物」が、上手くコンテンツコントロールの中で機能したのであって、実はそれらは全て「石森漫画」としては独立的な存在であって、ただただ『009』だけを時系列的に並べて繋げても、決してそれは「作家・石森論」の一面としては意味を持つかもしれないが、『サイボーグ009論』なんてものは、そもそも成立しないのではないかと、筆者などは思ってしまうのである(そうとでも思わなければ、連載10年も経たないで、最終決戦編までたどり着いたバトル漫画が、それが中断した後、結局けりをつけることもないまま、番外編やサブキャラ単独編等に終始したまま、その後数十年も続いたという状況への、エクスキューズが成り立たないのである)。
しかし、筆者は今ここで記した「真説・『サイボーグ009』論」の根拠を、事実で後押ししなければならない。
今一度明言しておくが、筆者が主張したい『009』論は、「このまんがは当初はただただ、雑誌『LIFE』で特集されていた『cybernetic organism』という単語に、いち早く目を付けた石森章太郎氏が、それをフィードバックさせた『時代劇をSF現代劇に置き換えることで、斬新で空想科学活劇的な、SF抜け忍者漫画が描けるのではないか』と考えたことが、そもそもの発端ではなかったか」と、そう考えている。
「そういう意味」では、アメリカでAnne McCaffreyが、サイボーグを扱ったSF小説シリーズ『歌う船(The Ship Who Sang )』を始めたのが1969年、『幻魔大戦』でコンビを組むことになる平井和正氏が『サイボーグ・ブルース』を執筆したのも1968年と、石森氏にどれだけの先見の明があったのかは分かる。