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『孤独のグルメ』1巻表紙

『孤独のグルメ』という、今や世間で大ブームを巻き起こしているこの作品自体に、あまり多くの前置きはいらないだろう。
エッセイストでありサブカルライターの久住昌之氏原作で、hard-boiledや純文学小説の漫画化などを手掛けてきた、谷口ジロー氏による画の漫画であり、元々はバブル後期の90年代前半に描かれた漫画が、そこでの印象的な食べっぷりや名台詞などが、ネット時代のトレンドになり、やがて2012年から、テレビ東京で深夜ドラマ化されたことで、一気に一般層にまで浸透する大ブレイクを起こし、その間に描かれた新作を集めた単行本第2巻が、第1巻が発売された1997年の18年後になって、ようやく発売されて波紋を呼んだ、傑作漫画である。

今「波紋を呼んだ」という書き方をしたが、まずはこの漫画が、当初描かれた基本設定の説明から入ろう。
主人公(というか、基本、レギュラーの登場人物はただ一人。なにせタイトルからして『孤独の』なのだから)は井之頭五郎という、輸入品の仕入れや販売を、個人で行っている、端正な二枚目の中年男。高級スーツをラフに着こなし、BMWを愛車とし、過去の女性との思い出は「日本だと、どこにいても顔が知れてる売れっ子女優」とのラブストーリーという、定番というか、わざと「狙った」感がある、バブル勝ち組気質の、一匹狼で粋な中年男性。
この作品の売りは、そんなブルジョワかつhard-boiledな中年が、行く先々で腹を空かせては、わざとらしく、貧民街の定食屋に入って見せたり、屋台のうどんやたこ焼きを食べてみせたり、コンビニで食料を買い込んで、自宅のパソコン前で食べるというシチュエーションがまずあり、その中で主にモノローグで語られる、「いかにも、ブルジョワやhard-boiledな男の口からは、絶対に出てこなさそうな」台詞の数々

「持ち帰り! そういうのもあるのか」
「うん、これこれ」
「ほー いいじゃないか こういうのでいいんだよ こういうので」

など、庶民的な、子どもっぽい「心の声」とのギャップが、上手く計算されているところで「あった」。
例えブルジョワだろうがhard-boiledだろうが、庶民だろうが、大人も子どもも、男が一人、飯を食う時に、頭の中で考えていることなどに大差はなく、みんな「食事と自分」だけの、閉じた時間を孤独に愛しながら生きているのだ。本作のメッセージ性を読み取ろうとするならば、そんなところだろうし、そう読み取るには根拠がある。

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ゴローの最初の「孤独のグルメ」食事

原作者の久住氏は、漫画家の泉晴紀氏と組んで、泉昌之というペンネームで、雑誌ガロ等でデビュー時期を飾っていた。その内容は主に三種類で「日常生活で起きるアルアルネタ」「ウルトラマン達がアパートなどで、普通のダメ人間のような日常をおくるネタ(現在は絶版扱い)」「孤独のグルメネタ」と別れており、三つに共通するのは「日常で、誰もが『あぁ、自分も経験がある。わかるわぁ』と思えてしまうネタを、あえて仰々しく漫画のネタにする」であり、それが初期の泉昌之の芸風だった。
久住氏側は、文字ででもその方向性を展開し、80年代前半、角川書店月刊バラエティに連載されていた『人生読本』などは、その典型であった。

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回転寿司を食べるゴロー

初期、泉昌之時代の久住ストラクチュアは、些細な日常アルアルネタから始まって、オチで突然、登場人物が激怒したりキレたり、トンデモな終わり方をして、場合によっては損をする芸風の部分もあったが、『孤独のグルメ』では、その「強引でトンデモなオチ」を「hard-boiled映画の余韻のような空気」に置き換えることで、かなり一般層も取り込めるテイストになったというところが、まずこの漫画の成功のポイントだろう。

それは、泉昌之名義のデビュー作『夜行』と比較すると明確になる。
『夜行』は「一人の男が、目の前の食事と孤独に向き合い、脳内モノローグで様々な物語を作りながら、食事を進めていくだけ」という点では『孤独のグルメ』と全く同じなのだが、泉晴紀氏のタッチが、そもそもかなり劇画風なので、あえて久住氏は、往年のhard-boiled貸本劇画の神様・佐藤まさあき氏のタッチで、泉氏に画を作らせる。
トレンチコートに帽子、そして名前も本郷播(ホンゴウ タケシ!)というキャラが、夜行列車に乗り込んで、幕の内弁当と向き合い、ただただひたすらに、どう幕の内弁当を劇的に食べるかというだけの漫画。この当時既に「飯とおかずのせめぎあいだ!」「やっぱり男はキンピラゴボウよ!」等の名台詞を生み出していたが、オチは「メインディッシュだと信じて、最後まで残しておいたカツが、いざクライマックスに食べてみると、肉じゃなくて玉ねぎだった」というところで、本郷播はキレて号泣して、ギャグマンガとしては終了するのだが、本作や、初単行本のタイトルになった『かっこいいスキヤキ』(学生時代の本郷を主人公に、大学のサークル会でのスキヤキでの、肉をめぐる攻防戦を描く……といっても、攻防していたのは本郷だけ)等々、そういった80年代独特の「アルアル的読者共感ネタ」は、その後の生活アルアル漫画『ダンドリくん』などをはじめとして、掲載誌はともかく、月刊宝島『VOW』や、雑誌ビックリハウス等に近い感覚の漫画が多かった。
時代はとにかくパロディ時代。佐藤まさあき劇画も、ウルトラマンも、日常もパロディに変えていく「久住流」は、しかしその、パロディという手法のブームが廃れたタイミングで(90年代に入る頃合いで)一時的に表舞台から消えた。それは、泉麻人氏やみうらじゅん氏が、テレビ画面のレギュラーから外れていったのと、同じ流れであった。

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hard-boiledな台詞でシメられていることも多かった一巻

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