代替テキスト
講談社から発売された、ゲゲゲの鬼太郎解体新書 水木しげるvs.京極夏彦

痛快である。
何が痛快かというと、人間、とりわけ表現者、しかもオタクという存在が、己の表現で時代を築き、地位と名誉を実力で物にさえすれば、恥も外聞もなく「オタクが本当にやりたかったこと」を、好き放題やっても、資本もスポンサーも市場も、もろ手を挙げて付いてくるということ。これは嫌味ではなく、資本主義社会における究極の正義であり回答でもある。

今この瞬間、このタイトルの文章を読もうとしてられる人で、京極夏彦氏という小説家を知らない人はまずいないであろう。
京極氏は、元々はデザイン系のサラリーマンであったが、ふとしたことから軽い気持ちで書き上げた小説を持ち込んでみたところ、その数奇な才能と一流の出来栄えゆえに、すぐさま1994年に講談社ノベルズから『姑獲鳥の夏』で鮮烈にデビュー。
そのデビュー作『姑獲鳥の夏』は、『百鬼夜行シリーズ』とも呼ばれる『京極堂シリーズ』の第一弾にもなり、一般読者の口コミや、各評論家等の書評でも絶賛され、驚異的な売り上げを記録。シリーズ累計ミリオンセラーを記録し、2005年には実相寺昭雄監督によって映画化もされた。
一方で、『京極堂シリーズ』は、講談社でメフィスト賞を創設するきっかけにもなり、京極氏はその後、第49回日本推理作家協会賞、第25回泉鏡花文学賞、第16回山本周五郎賞、第130回直木三十五賞、第24回柴田錬三郎賞と、日本文壇の数ある賞を総なめし、書きあげた小説は『魍魎の匣』『どすこい』『嗤う伊右衛門』『南極。』『死ねばいいのに』と、出す本、出す本、どれもベストセラー。今や日本を代表する、幻想娯楽小説譚文壇のトップに君臨する実力派であり、エンターテイナーでもある小説家である。
――と、ここまでは異論のある人はいないであろう(大河さんは大人なので、大沢在昌氏に関しては一切触れない方向で(笑))。

その、面白すぎて、語りたいツボが多すぎる処女作『姑獲鳥の夏』に関しては、いずれ筆者もここで語ることにするが、一方で京極氏は『ゲゲゲの鬼太郎』『悪魔くん』で知られる、漫画家・水木しげる氏の大ファンであり、知る人ぞ知る関東水木会のメンバーでもあったのだ。
関東水木会とは、名前だけ聞くと昭和の暴走族のようであるが、実際は、1993年に、選りすぐられた6名で結成された、究極の水木しげる愛好会であり、『水木しげる作品完全リスト』作成や、世界妖怪会議への出席等、水木しげるFC系でも頂点に輝く団体であり、京極氏はそんな団体所属の、コアな水木マニアであったのだ。
考えてみれば、京極氏のデビュー以降の『京極堂シリーズ』も、本格推理と呼ぶには無茶があり過ぎ、妖怪小説と呼ぶには卑怯すぎるが(笑)、ある意味(あくまである意味で)妖怪という存在を真正面から扱った文学の究極系であり、そんな関係ゆえ、京極氏の京極堂シリーズ第3作『狂骨の夢』では、ノベルズの帯に水木しげる氏の「オモチロクてたまらない……全日本妖怪ファン必読の書である」との推薦文が寄せられ、京極氏が狂喜乱舞したというのは、有名な話である(本当かよ!)。

それほどまでに、京極氏が愛した水木氏の『ゲゲゲの鬼太郎』は、1960年代から何度もアニメ化されているが、1996年に放映開始された、俗にいう第4シリーズアニメ版『ゲゲゲの鬼太郎』は、原点回帰の原作イメージ尊重を打ち出し、当初から、鬼太郎ファンの憂歌団や俳優の佐野史郎氏等を主題歌やゲストに呼ぶなど話題も多く、原作ファンからの評価も高かった。
しかし、そこで「自称・水木ファン 鬼太郎ファン」が次々集まるお祭りに、京極氏が反応しないわけがなかった!

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