2022年1月17日
一つの訃報が入ってきた。
僕が思春期までの間、いくつもの漫画で愛した、漫画家の水島新司氏の訃報だった
「ドカベン」「あぶさん」など、野球漫画の第一人者として知られる漫画家の水島新司(みずしま・しんじ)さんが10日、肺炎で死去した。82歳だった。葬儀は家族で行った。喪主は妻修子さん。
朝日新聞デジタル
なので今回は、その追悼として、以前書評サイトで書いたコラムを掲載したい。
今回は、ちょっと私的な話から入ろう。
どこかできっと、僕を待っていてくれる人に、ちょっと伝えたいいくつかのことがあるからだ。
僕は1966年に生まれ、70年代に少年期を過ごした。
人生で一番愛した書『迷走王ボーダー』のセリフを借りれば、あの頃は皆オトコノコは野球少年だったのだ。
しかし、僕の家庭にはほぼ最初から父親が不在がちで、そのうち本当に不在になって、やがてはこの世を去ってしまったものだから、誰も僕に「野球の正しいルール。練習の仕方」を教えてくれる人はいなかった。
フォースアウトとタッチアウトは何が違うのか。フォアボールとデッドボールはどう違うのか。
それらを僕は全て、梶原一騎・井上コオの『侍ジャイアンツ』と、水島新司の『野球狂の詩』から学んだ。
両者の野球漫画といえば、通常の価値観では、梶原氏は『巨人の星』だろうし、水島氏は『ドカベン』だろう。
しかし、それらは僕が野球に興味を覚える前から始まっていたので、後乗りで、しかも野球のルールを知らない僕には敷居が高過ぎた。
時代は昭和50年代。既に読売巨人軍はV9の黄金期を終え、長嶋監督最下位の年と、広島赤ヘル軍団の優勝を経てプロ野球が違った盛り上がりを見せ始めたころ。
僕は遅ればせながら、小学校も中学年を迎えるころに、東京日本テレビがルーティンで再放映していたアニメ版の『侍ジャイアンツ』と、本屋で立ち読みし、読み切りアンソロジーゆえに野球のルールに詳しくなくても楽しめた『野球狂の詩』が、僕にとっての「野球の先生」になった。
ここから、いくらでも長い論を書くことは可能だ。
例えば、梶原野球漫画社会現象があって、それが滅私奉公軍国賛美主義であるからこそ、文化左派による水島氏と、当時の大人気テレビ脚本家の佐々木守氏が組んで徹底的にアンチ巨人、アンチ権力、徹底反体制の野球漫画『男どアホウ甲子園』という名作を生みだした。その漫画は部落問題は天皇制や高校野球連盟に痛烈な批判を浴びせながら、水島氏の初期の金字塔になった。
そこから「プロ野球漫画に見る、イデオロギーの推移と葛藤」を2万文字書けと言われれば書けるだろう。
水島氏にとって「野球のグラウンド」は、宮崎駿氏にとっての「風の谷」、佐々木守氏にとっての「常世の国」と同じ理想郷であり、左派文化人が現実とのコミットを拒絶する最後の手段でもあるからだ。