三留 まぁ(角川氏は)映画が好きだったんだよね。映画を作りたかったんだよね。ま、その後実際に作ってる(『汚れた英雄』(1982年)他監督作品六本)んだけどね(笑) 

汚れた英雄

大賀 あの人はあくまでプロデューサーとして有能なだけで、監督能力はそんな評価に値するもんじゃないじゃないですか。『汚れた英雄』なんて、村川組のスタッフ全部総取りして、自分はディレクターズチェアに座ってるだけじゃねぇか(笑) としか思えない仕上がりなんですよ、本当にもう。

三留 いやぁ。だから、監督よりは、チーフ(助監督)とかの映画になるからね、そういうのは。で、スタッフがみんなそっち(村川透監督)側の人だからさぁ(笑) そりゃあもう「監督はおいといて」みたいになるよね。(完成作品を)観れば分かる。(映画の監督は)素人に出来ることじゃないから。

大賀 先ほど挙げたいくつかの事例を見ても、どれも70年代的な映画を「再生する」プロデュースなんですよね。そこは本当に角川春樹という人は長けていた。

三留 うん、そういう意味では「編集者」だったのかもしれないね。その上で、いろんな意味でのプロデューサーであり、ワンマンに動けたことが大きかった。でも、その結果、ものすごく多方面から恨まれたり抵抗されたりがあって、結局「角川春樹が本当にやりたかったこと」が出来たのは、今世紀に入ってからで、しかも、やりとげたのは本人じゃなくて、弟角川歴彦)だった……。春樹さん時代の角川映画は、映画館も持ってなかったし、撮影所も持ってなかったから、配給も東映だったりすごく苦労していた。だけど今(角川歴彦体制になってから)は映画館も手に入れた、撮影所も手に入れた。だって大映がまるごと角川になっちゃったんだよぉ!?

大賀 大映怪獣の象徴だったガメラが、今や角川怪獣ですからねぇ!

三留 そうなの。でもそこ(角川のトップ)にいるのは、「春樹」じゃなくて「歴彦」なんだよね。で、角川歴彦は、やっぱ、つまんない……(笑) だから、往年の角川映画と今の角川映画は全く別の物だし、それは70年代から80年代にかけて、私たちをものすごく興奮させてくれた物とは違っているのね。

大賀 角川映画は、初期の大作路線を捨てた先でも、『野獣死すべし』(1981年 監督:村川透)や『麻雀放浪記』(1984年 監督:和田誠)なんかでも、常に僕らをわくわくさせてくれる傑作を送り出し続けてたからね。僕が最後に「これぞ角川映画!」と楽しめたのが、当時アイドルとして売り出し真っ盛りだった宮沢りえ主演の『ぼくらの七日間戦争』(1988年 監督: 菅原比呂志)だったんですよ。当時ハリウッドでも『グーニーズ』(1985年 監督: Richard Donner 原題: The Goonies)とか『スタンド・バイ・ミー』(1986年 監督: Robert "Rob" Reiner 原題: Stand by Me)とかの、ジュヴナイル少年冒険活劇が盛んだった時代で、そこを狙った角川春樹が、自身の秘蔵っ子で、ハリウッド進出を目論んでアメリカに送り込んでいた菅原監督に撮らせた少年少女活劇なんです。作品そのものはすごく面白かったんだけど……。菅原監督はその後も映画を監督するけど、角川の御家騒動で、すっかり春樹派のレッテルを貼られちゃったんで、割を食う立ち位置になってしまったのが残念でした。

ぼくらの七日間戦争

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