三留 一瀬さん、勝手に続編(『帝都大戦』(1989年 監督: 一瀬隆重))作っちゃったしね(笑) さっき話に出した、私の昔の彼氏が、学生当時一瀬さんとも仲良しで、ある日一瀬さんの8㎜映画『理想郷伝説』の試写の案内がきたのね。それが『ぴあ』の試写室でやるから観に行こうよって話になって、映研の後輩連れて三人で、当時水道橋にあった『ぴあ』の試写室に行ったの。で、行ったら一瀬さんが受付してて、真っ青な顔して「どうしよう……。大変だ……本多猪四郎監督が来てる……」って小声でおびえてるわけよ(笑)

大賀 東宝の! 特撮映画の! ゴジラの神様! 本多猪四郎! 『ぴあ』試写室に降臨!(笑)

三留 私の彼氏が「一瀬君、だって招待状を(本多監督に)出したんでしょう?」って言ったら(一瀬監督が)「うん、出した! 市川崑にも、黒澤明にも出した!」って言うのを聞いて……「はぁ、コイツは本物かもしれんなァ」と思ってねぇ(笑) その辺がプロデューサー気質なのね。で、もちろん彼(一瀬監督)にしてみれば、本当に来てくれるとは思ってなかったわけだけど。けれど本多監督がアシスタントの方と二人でいらしていて、映画が始まるのを座って待ってるわけ。で、さすがの一瀬さんも緊張しまくり(笑) でも私はそんな一瀬さんを見て「さすがにすごいな! このハッタリ野郎!」って思ったよ(笑)

大賀 だから、70年代までの自主映画って、大林宣彦監督が突破口を開いてくれたんだけど、それまではものすごくアングラ文化だったじゃないですか。結局、ほしのあきらさんの『フィルム・メーキング』みたいなところから一歩も出られなかったって印象があるわけです。「松竹ヌーベルバーグを8㎜でやる」みたいなところから抜け出せなかった。

三留 うんうん。そうね。それと、「実験映画」と「商業映画の模倣」そういうのが70年代の自主映画だった。

大賀 でも、80年代に入ったころから、ディレクターズ・カンパニーなどで、プロの世界で台頭してきた若くて自由なセンスや「映画へのアプローチの多様性」が、自主映画にもフィードバックされましたよね。自主映画が良くも悪くも、芸術性だけじゃなく、エンタメを目指し始めた……。

三留 うん、だから、「縛り」から解放されたんですよ。それはね、一つは……。私たちはよく『HOUSE ハウス』(1977年 監督:大林宣彦)世代だっていうんだけれども。『HOUSE ハウス』を観た自主映画青年たちが思ったのは、「そうか! 難しい映画を作らなくてもいいんだ!」って(笑)

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