三留 河崎さんは、よくうちの映研に遊びにきてたんだよ。

大賀 あ、そうなんですか!?

三留 うん。(当時の)私の彼氏と仲良しだったんだよねぇ。

大賀 あの辺の方々へのコンプレックスっていうのも、僕はすごかったんですよ。例えば河崎監督で言えば、『エスパレイザー』桑田次郎先生にアイキャッチのイラストを描いてもらったり、先ほど挙げた一瀬隆重さんも、当時自主映画の8㎜で『ウルトラQ No.29「闇が来る!」』っていうのを撮ってて、そこでは元祖『ウルトラQ』(1966年)の石坂浩二さんにナレーションを担当してもらったりと、関東のオタクも決して勢いと実力とエンタメ性では、関西オタクには負けていなかったんだけど、でも僕自身はその波より遅れて生まれてきてしまっていたというコンプレックスが今も拭えないんです。

三留 うん、うん。

大賀 だから僕は一瀬さんも、やがてはディレクターズ・カンパニーの一角みたいなスタンスで、プロの監督になっていくんだろうなと期待していたんですが、蓋を開けてみれば手塚眞監督の『星くず兄弟の伝説』プロデュースだし、巨額予算映画の『帝都物語』Hans Ruedi Gigerまで招聘してデザイナーやらせちゃったりする、驚愕の新進気鋭プロデューサーとして邦画界に旋風を巻き起こしていたというのが僕の心象なんですよね。

『帝都物語』Hans Ruedi Gigerのデザインした護法童子

三留 やっぱり、あの時代を一番象徴したのは『帝都物語』だったよね。お金をふんだんに使ってね。

帝都物語

大賀 だけど、肝心の監督が実っさん(実相寺昭雄)だったものだから、物語は全く観客に伝わらないで、画面の美学だけの映画になってしまったという(笑)

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