大賀 今その話を聞いていて思ったのが。例えば大雑把に、三留さんの世代から僕の世代まで。「映画が好き」「ドラマが好き」「ロックが好き」って、思春期に自覚を持ってたとして。名作映画の歴史やロックバンドの歴史を遡るのに、僕らの世代は、映画で半世紀、ロックだったら四半世紀も遡れば網羅できたじゃない? でも、アニメのオタクもそうなんだけど、今の子がそうやって、文化の海を遡ろうとすると、映画なんか、軽く百年を超える物量の名作群が待ち構えているわけ。それを一人の人生で全部消化しきれるかと言われたら、確かにそこは少しかわいそうかなと。

三留 ただ、私が言いたいのは「どうしても」「全部」じゃないわけ。私が10代のころだって、遡らなきゃいけないとか、意識はしてなかった。ただ、ひたすらに、映画が観たくて観たくて映画館に通い詰めたのね。そこで、観たことがない古い映画で、タイトルだけ知ってる映画に出会っても、私にとってはその映画は、まだ観ていないから新作と同じ(扱い)なわけ。で、高田馬場にあったACTミニ・シアターの、狭い階段を上がっていくと、座椅子がおいてあって、日本茶が出てくるという! お茶菓子にブルボン一本付きで(笑)

大賀 ブルボンかよ!(笑)

三留 で、そこで『第三の男』(1949年 監督: Sir Carol Reed 原題: The Third Man)とか観られるわけ! 『天井桟敷の人々』(1945年 監督: Marcel Carné 原題: Les enfants du Paradis)とか。あとは佐藤重臣さんが興した、厚生年金会館の裏にあったアートシアター新宿とか。今だったらゲリラ上映とか難しいと思うけど、そういう風に「観る場所」があって、「とにかくたくさん観たい」という気持ちがあればそれでいいと。だから私はたまたま、そうやって、行った先々で古い映画を観ただけであって、それでいい。全部遡ることは義務じゃないと思う。

天井桟敷の人々

大賀 僕もそこは、むしろ「縁」でいいんだと思う。「映画との縁」

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

おすすめの記事