前回は『山際永三インタビュー 第五夜「山際永三と五社英雄と『日本沈没』と」』

『ぐるぐるメダマン』テロップ

――さきほどの話に戻りますが、監督は『ちびっこかあちゃん』(1983年)や『ぐるぐるメダマン』(1976年)などで東映にも参加されましたが、どういった経緯で東映にいかれたんですか? 先ほどお話がでた小野(耕人)さんの引きでしょうか?

山際 それはもちろん小野さんなんだけど、元はやっぱり橋本(洋二 TBSプロデューサー)さんですよ。橋本さんの作品で、東映の京都でね、時代劇の子ども向け番組『彦佐と一心太助』(1969年)っていうのをやってたんですよ。それで、東映の平山(亨)さんっていうプロデューサーとも親しくなったんですよ。平山さんと小野さんもよく組んでたんで、それで小野さんが『ぐるぐるメダマン』で僕を呼んだんですよ。東映にもいろいろ系統があるでしょう。

――吉川進さんだったり、阿部征司さんだったりですね。

『ぐるぐるメダマン』

山際 そうそう、そういう中で、テレビプロのストライキとかがあってね。外部(他会社)の人を呼んできてやるのが、口実になってやるプロデューサーもいて、皆繋がりがあって、東映でもやるようになったんだよね。だけどそれが、80年代になって、どうしようもなくなっちゃった。

――そういう時期も踏まえての話なんですけど。自分が以前、助監督として東映作品に参加していたときに聞いた話なんですが、「山際監督は、子役の使い方がとても上手い」というのが定説になってました。監督は『チャコちゃん』(1966年)『コメットさん』(1967年)の国際放映時代から、子役を使った作品を数多く手がけてらっしゃったわけですが、監督なりの、子役俳優さんへの接し方などは、当時いかがだったんでしょうか?

山際 東映とは違って、国際放映っていうのは、テレビ映画が始まった初期から、四方晴美(『チャコちゃん』主演子役)っていう、それこそお父さん(安井昌二)もお母さん(小田切みき)も実際の親子で、撮影所の中で部屋を作って、そこで寝泊りしながら撮影をするっていう。子役をどう扱うかっていうノウハウを、国際放映は積み重ねてきたわけですよ。四方晴美なんかは、撮影所の中がもう家みたいなもんでね。遊んでばかりいて、学校にも撮影所から通うという。『チャコちゃん』の頃に、僕の下についてくれている助監督がいたんだけど、彼は四方晴美の面倒を見る役目もあったんだけど、チャコ(四方晴美)がもう撮影を嫌がっちゃって、もう反抗して、その助監督の体を足で蹴ったとかね(笑) ところが僕の助監督たちは皆、蹴られても平気っていう状態なのね(笑) チャコに対しては、ぺこぺこもしないけど、動じないっていう感じでね。だからチャコは「もう山際監督まいっちゃう! なんでもやらせるから、山際監督のときはやるしかない」とか言ってね(笑) 僕はもう、走るシーンも、まずは僕が走って見せちゃうのね。それこそね「子供」という漢字の「供」という漢字がね、良くないと。

『チャコちゃん』ソフトジャケット

――橋本さんや阿部進さん、佐々木守さん達がそれを提唱していましたね。「子供」の「供」は「親のお供」に通ずる。子どもは子どもで、独立した存在であるべきだ。だから「子供」と書かずに「子ども」と書くべきだ、と。実は自分もその考え方に共鳴していまして、SNSや仕事の文章で書くときも、必ず「子ども」と書くようにしています。

山際 そう、つまりこちらも、子どもと同じ目線で見ななきゃダメだと。子どもに演出するときは、もうしゃがんで、子どもの目線と同じになんなきゃだめだとかね。全て僕は、自分で率先してやってたわけですよ。まぁその頃は僕も若かったしね(笑) 子役に関しては、僕は子役がでる作品ばかり撮っていましたしね。劇団のどこにいるってのも、会社の連中より僕が一番良く知っていたもんだし、メモまで持ってて、誰と誰を呼べってことまでやってたし。僕の子役選びはね、子役の子にマッチをシュッて擦らせて、火を見て「綺麗だな」って言ってみろって言うわけですよ。そうするとね、マッチを擦るってこと自体が出来ないわけですよ、子どもには。家では(教育上)マッチを使うことが、禁止されてるわけだから。(母親達は)なんてことを教えてくれるんだって、皆唖然として怒ってるわけですよ(笑) それをした上で「綺麗だな」って言える子はオッケーっていう(笑) 馬鹿みたいなことをして、子役を選んでいましたしね。僕はね、女の子は、目が細くて一重まぶたで鼻べしゃな女の子が好きなんですよ。後で考えると、そういう子ばかり選んできたんです。二重まぶたのぱっちりした子は、放っておいても平気みたいな感じなんだけども、一重まぶたの子は、なんか放っておいたらいけないような気がして(笑) 僕はどうしても、そっちの子を選んじゃうんですよ。『チャコちゃん』や『コメットさん』の頃は、そんな意識はなかったんだけれども、ウルトラをやり始めた頃からは、子役を選ぶ、僕なりの基準みたいなものも、好みみたいなものが、はっきりしてきましたね。

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