今回登場した海底原人ラゴンがそうであるように、『ウルトラマン』(1966年)は特にその初期においては、前作『ウルトラQ』(1966年)に登場した怪獣の、改造やスピンオフ登場が多い。

その理由にはいくつかあって、まずは製作体制や予算体制のタイトさが挙げられるが、それとはまた別の意図として例えばそこには、当時のテレビ界にセオリーとして存在していた「スピンオフ」という概念が関係していたかもしれない。

スピンオフとは、一般社会的には「転用」の多様な解釈を含んだ言葉として、ビジネス・科学界で使われている言葉ではあるが、昔のテレビドラマ界では「ヒットした番組の続編を作る場合に、前作で注目された俳優が、新作でまた違う役柄で出演する」ことを言い、ウルトラシリーズで言うなれば、『ウルトラQ』で江戸川由利子を演じた桜井浩子さんが、次の番組『ウルトラマン』でフジアキコ隊員を演じたり、『ウルトラマン』でアラシ隊員を演じた石井伊吉(毒蝮三太夫)氏が、次の番組『ウルトラセブン』(1967年)でフルハシ隊員を演じたり、といった慣習のことを指した言葉であった。

予断だが、このスピンオフという慣習は第二期ウルトラにおいても、岸田森『帰ってきたウルトラマン』(1971年)坂田役。『ウルトラマンA』(1972年)ナレーター)名古屋章(『帰ってきたウルトラマン』ナレーター。『ウルトラマンタロウ』(1973年)朝比奈隊長)瑳川哲朗(『ウルトラマンA』竜隊長。『ウルトラマンタロウ』『ウルトラマンレオ』(1974年)ナレーター)といったように、ナレーター担当を中心に継続されている。

閑話休題。

『ウルトラマン』における『ウルトラQ』怪獣の出演については、今ではファンの間では広く認知されている、『ウルトラQ』後半の幻の企画「怪獣トーナメント戦」の名残としての空気が、色濃く影響していることは疑いようがないが、その「怪獣トーナメント戦」に関しての記述は、他の回の評論に譲るとして、今回は、このスピンオフという部分について考えてみたい。

先述したように、当時のドラマ界においてスピンオフとは、前作の役者が、新作で違う役柄・人間として登場するというシステムである。

ウルトラは一応シリーズ番組であるが、基本的に作品間の世界観は独立しており、江戸川由利子とアキコ隊員、アラシ隊員とフルハシ隊員は、なんの因果関係もないし、まったく別の人間として描かれている。

これを、ウルトラ怪獣という枠に当てはめて考えてみると、スピンオフのストレートな解釈の中に「Qキャラの改造怪獣」が当てはまるのである。

パゴス(東宝怪獣のバラゴン)を改造したネロンガ・マグラー・ガボラ。ペギラの改造のチャンドラーや、ゴメスと同じくゴジラ改造のジラース。ピーター改造のゲスラなど、役柄における俳優のように、怪獣キャラの素材としての着ぐるみが、役柄(怪獣キャラ)を変えて再登場する。この概念はまさに、スピンオフなのである。

しかし『ウルトラマン』では、怪獣に関しては、違った捕らえ方を当てはめたスピンオフも存在する。

それが、本話で登場したラゴンなのである。

ラゴンは、前作の着ぐるみそのままではなく、改めて作り直されながらも、しかも前作に登場した「ラゴン」としてのキャラ設定を受け継いだ、完全にそのままの存在として登場するのだ。

このケースは『禁じられた言葉』に、一瞬だけ登場したケムール人にも当てはまるが、実はガボラが登場した『電光石火作戦』もまた、準備稿段階では『パゴス反撃指令』というタイトルであり、そのタイトルが示すとおり、当初のプランでは、怪獣は『ウルトラQ』のパゴスがそのまま登場する予定であった。

パゴスの場合は、既に着ぐるみがネロンガに改造された後であり、わざわざ元のパゴスに戻すのであれば、同じ手間をかけて新怪獣に、という理由もあっての、新怪獣・ガボラへのカスタムとなったのだろうが、面白い符丁としては、ラゴンは後にザラブ星人へと改造され、ケムール人もまたその頭部は、ゼットン星人へと転生するのである。

この事実は、スピンオフという概念・システムを怪獣に当てはめたとき、元のテレビドラマ的な「スピンオフ」というシステムが指し示す「役者」の役割が、特撮物においてそこに登場する架空のキャラにとって、「怪獣」に置き換えられるのか「怪獣の着ぐるみ」に置き換えられるのか、そこが良い意味で曖昧であったということを証明しているのである。

テレビドラマ的な、スピンオフシステムにおける役者を、怪獣そのもののキャラに置き換えたのが、チャンドラー、ネロンガ、ゲスラ等々であろう。

それらは皆、ペギラ、パゴス、ピーターという怪獣が、着ぐるみを改造されて、違うキャラとして登場し、前回とは全く違う役を演じている。

だが、役者そのものをラゴン、ケムール人などといった、「怪獣の個性そのもの」に置き換えて、前回と同じ存在であるにも関わらず、全く別の役割を演じさせるというスピンオフが、ラゴンとケムール人では行われているのである。

ラゴンは元々、『ウルトラQ』の『海底原人ラゴン』で登場したときは、暴れるでもなく、侵略するでもなく、ただただ島へ現れて、海底流の変動で地上へ流れ着いてしまった自分の子どもを、返してもらうだけの役割でしかなかった。

物語の中心は、後の『日本沈没』を予見させるかのような、日本の地殻変動がもたらす「終末の予感」であり、ラゴンはそれを描くための狂言回しでしかなかった。

そのラゴンが(劇中では、原爆の放射能が狂わせたという解説があったにせよ)、巨大化して口から火炎を吐きながら、暴れて徘徊するというのは、これは全く、別の役柄をラゴン本人が演じていると言っても過言ではない。

もちろん「人類に敵意がなく、音楽が好きで心は優しいはずのラゴンすらも、ここまで狂わせてしまうくらい」という放射能の恐怖を描くことが、この話のテーマでもあり目的であるが、逆を言えば、そのテーマは先の『海底原人ラゴン』での、「見かけは恐怖でしかないが、内面は子どもを思う優しい原人」という前提があってこそ、成立する物語なのである。

このロジックは、『禁じられた言葉』で登場する、ケムール人でも同じことが言えるのである。

『禁じられた言葉』でケムール人は、メフィラス星人が人類を脅すために、ビル街に呼び寄せた宇宙人達の一人として、一瞬だけ登場する。

それが、幻影だったのか実体だったのかはあやふやではあるが、ひょっとしたら、メフィラス星人が、人類の心の中にある、過去に畏怖して恐怖した異星人達の姿を読み取って、立体映像化したのかもしれない。

筆者が思うには、ケムール人はきっと、メフィラス星人の脅威と威厳と支配能力が空間(地球の外の異星)だけではなく、時間(ケムール人は未来の宇宙人)にも及んでいるのだというイメージを、視聴者に抱かせる力を持ったゲストとして、登場させられたのではないかと思っている。(ちなみにこの話でケムール人が登場するということは脚本段階から明記されており、本当はそこにダダも登場する予定であったが、着ぐるみの関係からか、ダダは本編には登場していない)

筆者の今の意見に反対する人は、ひょっとするとこう述べるかもしれない。

「それはきっと、シーンを少しでも盛り上げるための数合わせであって、たまたまスーツが倉庫にとってあったからだよ」

なるほど、そうかもしれない。

しかし、この話に登場するケムール人のボディは、ただそこにあった前作のスーツを流用したのではなく、このシーンに登場するはずだった、ダダのスーツを改造して、ケムールに置き換えられているのである。つまり、このシーンでは、ケムール人を登場させるために、ダダを登場させることが諦められた選択の先に完成した演出だったのだ。

その「既存の着ぐるみ流用ではなく、『ウルトラマン』に過去のキャラのまま登場させるために、わざわざ新調した」は、本話のラゴンにも言えるのである。

Qに登場したラゴンは女性の原人であり、そのためスーツでも、乳を強調したシルエットで描かれているが、本話に登場した男性版ラゴンにはそれはなく、それは、Qと本話に登場したラゴンが、着ぐるみとして別固体であることを証明してみせているのである。

それはつまり「『ウルトラマン』に、前作Qの怪獣をそのまま登場させて、前作とは違う役回りを演じさせよう」という意図が、明白にあったことを証明する事実であり、この前提から言えるのは、当時のテレビ界におけるスピンオフが、怪獣という存在に直接当てはめて使われた例であるのだということである。

つまり「怪獣ラゴン」や「怪獣ケムール人」は(両者は厳密には、どちらも「怪獣」ではないが……)、その「怪獣という存在」が役柄であり、俳優であったのだ。

本来、役者と役柄が違うのは当たり前の常識であり、例えるならアラシ隊員とフルハシ隊員はどちらも石井伊吉氏ではあるものの、両方は別人であることは、これはもう論ずる以前の問題であるが、では「怪獣ラゴン」という存在は、フィルムの中のラゴンと、ラテックスで作られたラゴンの着ぐるみの、どちらを指すのだろうかという問いかけは、これは実は形而上学にも発展しかねない、深い問題であったりするのである。

例えば、それに対して表層的に「フィルムの中で与えられたキャラは、役者にとっての役柄と同じで、役者そのものは、当然着ぐるみのことを指すのだろう?」という回答をするのであれば、怪獣達だって、元の着ぐるみの状態のまま、違う怪獣のキャラを演じているはずであるが、『ウルトラマン』と前作『ウルトラQ』の関係性で言えば、その方式をとっているのは、実はピグモン(ガラモン)しかいないのである。

そこの矛盾を思考的に解決する鍵は、先述した「怪獣トーナメント戦」という、消え去った企画にあるのだが、それに関しての解説は(やはり先述したように)次の機会にまわすとして、やはり本話(とケムール人がゲスト出演した『禁じられた言葉』)で言えるのは、両者とも、前作で演じた役割とは全く違う方向性でありながら、しかし、前作と同じ姿・名前で登場しつつ、その「踏まえるべき前作でのキャラ」のおかげで、前回演じた性格と、今回演じた役割の差で物語や世界観、テーマに深みをもたらしているという、ウルトラシリーズでも稀有な例なのである。

これは、二期以降における、怪獣・宇宙人キャラの「二代目」「Jr」などといった設定がもつ特性とも少し違い、『ウルトラQ』と『ウルトラマン』の蜜月関係だけが有する、特殊で幸福な関係性だったのかもしれない。

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