実はこの時点で既に、秋田書店『プレイコミック』で、田辺節雄氏による漫画版が完結(1975年~1976年)しており、そのビジュアルイメージを一度、漫画的ルックスで払拭するための、さらなる大家・永井豪氏の起用だったわけであるが、ここでの永井氏起用が、上記したような「来るべき、映画化に向けての地ならし」としての、田辺漫画版のビジュアルイメージの払拭にあったのだとしたら、当時の角川戦略恐るべしである。
そして、その角川文庫版の巻末の解説は、SF畑でも文壇人専門家でもない、映画評論家の石上三登志氏であったというのも、何かの縁、以前の、角川春樹氏による確信犯的人選であろう。
その辺りの検証は、追って次編である『『戦国自衛隊』誰も計算しなかった究極メディアミックス・漫画編』で行うが、むしろ半村氏がこの小説で重心を置いたのは「現代兵器の圧倒的な武力文明差」ではなく、むしろ「自然の障害物を挟む戦闘を行うにおいては、事前にその障害物の先に、自陣の防衛線を張って、三段階の橋頭保を築く」戦略論であったり「戦闘に勝って、敵陣を侵略した後も、侵略先の占領民を、近代兵器の運用に関して開拓用に土木作業に働かせるときも、あえて賃金的に差別しないことで、人心を得る」近代的政治手腕であったり、「領土の自由市場化」であったり、そういった「近代の価値観」が、戦国時代という時代に、どう作用するのかという部分へのシミュレーションであったのだ。近年の架空戦記がむしろ排除してしまった部分への、細やかさに溢れていたのが、この『戦国自衛隊』という“短編SF小説”ではなかったのではないだろうか。
それは、名将・武田信玄との川中島の戦いを詳細に描くよりも、その後、後の豊臣秀吉になるべき、竹秀がその戦後、立ち回った、関東、小田原、美濃での巧名上げのエピソードに顕著であり、そこでは「近代的才覚を、秀吉は蓄えていたのだ」という形を借りて、時の為政者へのエクスキューズを与えている。
作者・半村氏の視点と焦点は、自衛隊と戦国武将のアクション対決という構図よりも、ときならぬ、神兵と呼ばれる存在が戦国時代にあらわれ、世のパワーバランスを崩した時に、戦国的勢力分布や対立構図がどのように崩れ、そしてやがて、この作品の本質的テーマである「居るべき存在が、欠落したパラレルの戦国時代において、あまりにも不確定要素が大きすぎる『自衛隊というファクター』を、時が、時間という神が、いかにしてそもそもの軌道に戻すのか」という一点へ向けて、むしろ川中島の戦い以降の、主人公・伊庭の部下になった戦国の武将や侍たちの、政治力や交渉力による状況の進展に重きを置いて筆を進めていく。
やがてそれは「戦国の世にあって、武力なき民を動かす力こそ、天下をつかむ近道なのだ」を、普遍性のある真理として、今川・小田原攻略のプロセスで描き、上杉謙信になれなかった長尾平三景虎をして、こう記すあたりが全編の帰結であった。
米か金銀か。富とは究極のところそういうものだと信じ込んでいるが、充分な領土に平和を約束し、未知を整えて領民を豊かにすることが、これ程の富に還元されて来ようとは思ってもみなかったことである。
『戦国自衛隊』
後の映画版のシンプルさとは違い、越後の繁栄と、伊庭との器の違いを我が身で測った景虎の出番はここで終わるのであるが、それは景虎自身が「天下を取るということが、どういうことであるのか」を知ったからであろう。
「いくさのない大国でのうのうとくらすのが、真の賢者というものであろうか……」
『戦国自衛隊』
一見すれば、男の子好きする、戦車と戦国武将の戦いに見えるこの小説は、むしろ中世的暴力主義の価値観の中に、それら全てを凌駕する「最強の未来暴力」を持ち込み、しかしその持ち主たちが、同時に政治観、国家観を根底から覆すだけの視点を、現代民主主義的な思考と視点が染みついた、伊庭達昭和の自衛隊員達の「視野の広さ」こそが、この時代の戦国の世に必須の、一番の力であったのだという構図を、逆説的に描いたのである。
であれば、半村氏がこの題材を、半端なアクション小説としてダラダラ描かず、200ページほどの中編で完成させたという構想も、明確に理解把握できる。
本当の強さをこの、ありえなかったもう一つの戦国時代にもたらすための、かりそめの、分かりやすい無敵の強さの提示であり、それは「提示すること」で注視を浴び、近代兵器武力が重要なのは「そこまで」であって、この時代が真に欠落させ、欲していたものは、ヘリコプターでも戦車でもなく「近代的な経済・政治・国家思想」だったのだと、それを「昭和の時代では、排他されるべき自衛隊員」達が、織田信長の存在と共に補完するという、この作品はそういう小説だったのである。