『戦国自衛隊』誰も計算しなかった究極メディアミックス・小説編
『戦国自衛隊』誰も計算しなかった究極メディアミックス・映画編
突然、弓矢が飛び交い刀が火花を散らす、戦国時代に放り込まれてしまった、演習中の自衛隊員30人。
近代最新兵器VS戦国武将というダイナミックでアイディア勝ちな構図を描いた傑作SF小説『戦国自衛隊』
しかし、前回も書いたが、半村良氏による原作中編小説では、いかにも大衆ウケしそうなアクションシーンはほとんど明確に描かれることなく、小説『戦国自衛隊』は、あくまでもタイムトラベルシミュレーションSFに徹したトランジスタSFであったとは記した。
しかし、それではもったいないと(半村氏の本意を受け止めた上で)残念がるファンや企画者がいるのもまた事実。
『月刊SFマガジン』での連載の1971年の4年後。早川書房での文庫化タイミングを狙って、秋田書店『プレイコミック』で、田辺節雄氏による漫画版『戦国自衛隊』の連載がはじまった。
田辺氏は、特にこの『戦国自衛隊』時期までの、70年代の作品を見れば、誰がみても一発で分かるほど、師匠に瓜二つな絵柄を操る、『ワイルド7』の望月三起也氏のアシスタント出身。
望月三起也氏のアシスタント出身漫画家というと、『侍ジャイアンツ』の井上コオ氏等もすぐ頭に浮かぶが、田辺氏はおそらく、チーフ扱いで1971年に独立するまでは、それこそ『ワイルド7』の初期を脇で固めた立役者だけに、漫画版『戦国自衛隊』は、良い意味で望月テイスト全開の、画風、構図、アクションが軒並み揃った傑作アクション漫画に仕上がっている。
対比として面白いのが、この漫画化と前後して発刊された原作小説の単独文庫本の方は、全盛期の永井豪氏がイラストを担当しており、永井氏自身、ハヤカワ文庫で平井和正氏の『超革命的中学生集団』等、日本SF文壇の小説挿絵の経験もあったからか、この「一見、血しぶきと消炎の臭いが舞い散るアクション活劇に見える、人間賛歌SF」を、変にスキャンダラスな画で煽ることもせず、メカ画と風景描写を優先しながら20枚の挿絵をバランスよく配置した。
ある意味で、永井豪と望月三起也という対比は、70年代を代表するアクション漫画の対比でもあり、全く同じ題材を、どう描き、どう表現するかで、全く違う脳内再生ビジュアルが展開する面白さが、この対比には詰まっていた。
一方で、この後何度か自説を展開するが、『戦国自衛隊』は1979年に、鎌田敏夫脚本・斉藤光正監督で角川映画として映画化されていて、それも今回の筆者のメディアミックス解析のクライマックスに紹介するのだけれども、どうも、小説、漫画、映画の順に展開されていたメディアミックスでは、アクション娯楽として小説に足りなかった部分を、映画が独自で肉付けした部分だけではなく、本来角川書店とも映画とも関係ないはずの、この漫画版でオリジナルで付け足されたエピソードを、映画の中にいくつか見つけることが出来るのである。
これが、企画当初から、小説、漫画、映画の三位一体型メディアミックスであれば、そういった要素もわざと盛り込むことも出来たのだろうが、そもそもの発信企業が全て違う会社同士での出来事だけに、今の目で見るとなかなかおおらかな部分と、漫画版を描いた田辺氏の肉付けの巧みさと、それをさらに上手く掬い取った映画版脚本の鎌田氏の技巧に、いろいろ学ばされる部分が大きく、「この現象」をしっかりと比較解析した前例は、まだないと思われるので、今回は三回連続で、それぞれ「原作小説」「漫画版」「劇場用映画版」の、三つの『戦国自衛隊』を、それぞれ比較してみようという狙いがある。