まず、東宝がやらかす

 無論、それを思いついても実行できる映画会社は限られていた。
 まず挙げられるのは『ゴジラ』(1954年)以降、円谷英二特技監督作品で、数々の特殊撮影作品を送り出してきた東宝だ。
 その昔は「世界の円谷」と呼ばれ、ブランドイメージと特撮クオリティは世界一だった。その面子もあったのだろう。無根拠な自信もあったのだろう。既に円谷英二御大はこの世になく、本格的特撮映画も長らく作っていなかった東宝には、特撮監督を勤め上げられるような人材は「とにかく火薬とガソリンに予算をつぎ込み、タップダンサーがステップを踏むようなテンポで大爆発を連発させ、結果、スクリーンを火炎と爆煙で見えなくさせる」という馬鹿の一つ覚え演出の、中野昭慶ただ一人であった。
 それでも東宝は、それなりに格式とクオリティを作品に込めようと思いはしたのだろう、まずは原作とアイディアを、日本一のSF作家・小松左京氏にオファーした。
 しかし小松氏が「こんな泥縄で『スター・ウォーズ』に対抗する作品を作ろうなんて無茶で無理です」とオファーを辞退。しかし「どうせ『スター・ウォーズ』と戦うなら、猿真似ではなく、日本独自のSF作品、それも究極を目指さなければ駄目です。それには時間が要ります。時間さえ頂ければ、日本が世界に誇れるSF映画を作ります」と胸を張って宣言し、その結果「『スター・ウォーズ』と肩を並べる」のではなく、むしろ「『幻の湖』(1982年)と肩を並べて」しまう『さよならジュピター』(1984年)を創り上げてしまったのであるが、それはまた別の機会の話。

 仕方なく東宝は(もはやもう、この人しか残っていなかったのだろう)監督に『若大将シリーズ』『ゴジラシリーズ』を終わらせてしまった男」福田純を起用して、『宇宙戦艦ヤマト』(1974年)『海底軍艦』(1963年)を、足しっぱなしにした映画『惑星大戦争』(1977年)を製作公開するが、見ているだけでやるせなくなるセンスと、予算も時間も無いことが小学生にも理解できるバジェットと、連鎖爆発演出しか見せ場のない中野昭慶特撮のおかげか、日本でこの映画を褒めたのが矢作俊彦ただ一人」という結果に終わってしまった。

ぶっちゃけ『ゴジラ対メガロ』よりも再評価がしにくい東宝特撮作品

東映が勢いだけで喧嘩を売った

 その他、松竹・大映・にっかつは、予算的にも人材的にもなす術は無く「静観する」という、至極無難で妥当なスタンスに落ち着いたが、そもそも「落ち着きの無い」我等が東映は、そこで堂々宣戦布告を行った。「おい! ちょっ! 待てよ!」 映画関係者の、日本中の誰もが、まるでキムタクのように、その台詞を叫んだ。しかし、東映は不適な笑いでキセルを吹かしながら毒づいた。「そらぁあんさん、『スター・ウォーズ』だかスターボウだか知らしませんけど、なんやアメリカはんが、でかい商いをうちのシマ(日本)でやるようやないかいなぁ。そないなこと、放置してたらあきまへんがな。ここはうちらのシマ(縄張り)でっせぇ。うちのシマに来るまで、まだ一年あるんや言うんやったら、それまでに、うちらで先にもっとどえらいもんを作って、稼げばえぇんとちゃいまっか? 今の国民相手やったら『スター・ウォーズ』みたいなもんです言い切って小屋にかければ、ぎょうさんの人達が見に来るに決まっとるやないかいな。なぁに。SFだスペースオペラだとか、ヨコモジごとき何も恐れるこたぁあらしまへんがな。入れ物がいくら代わっても、映画なんちゅうもんは常に『泣いて笑って、手に汗握って』やさかい。うちが昔から守ってきた、そのやり方を貫きさえすれば、後は適当に、ゴテゴテ見栄えだけそれっぽくしておけばえぇやないですかぁ!」

 待て! 落ち着くんだ東映!
 お前に落ち着きが無いのは百も承知だが、人生には、気合を入れるべきと、入れてはいけないときがあるはずだ! そして「今このとき」は逆に、お前だけは絶対に気合を入れて良いタイミングではない!
 だいたい、お前(東映)んとこの「SFっぽい作品」って(1977年当時)、テレビの『仮面ライダー』(1971年)とか『がんばれ!! ロボコン』(1974年)とかの、ろくすっぽ特撮も使用していないレベルの子ども向けテレビ作品くらいしか経験ないだろう!? それに今のお前の会社(東映)の現状では、ヤクザ映画しかノウハウがないだろう!
 っていうか、撮る側も観る側も、どっちもヤクザみたいな連中しかいなくて「ヤクザがヤクザを、入れ替わり交代制で撮り合う」なんていう、まるで「卒業旅行に出かけた女子高生仲間が、観光地で互いに写真を撮り合う」みたいな、そういう状況でしか、現場が回転していないだろう!? しかし、誰の忠告も制止も聞かないのが東映流。

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