前作の鬱屈が、まるで無かったかのように、犯罪者が都心のど真ん中で暴れ、刑事達も拳銃を打ちまくり、殴るときはフルスウィングというこのドラマ。
その中でも忘れられない傑作が、斉藤憐が脚本を書いた『別件逮捕』。
駐車違反をした斉藤晴彦が、警官ともめて殴ってしまうところから話は始まるが、権力を傘に着た警察は、反抗した斉藤を貶めるために、強盗事件犯人の冤罪を着せる。しかし、真犯人がすぐに捕まってしまったため、後に引けない警察は、斉藤の身辺に、何か立件できる犯罪がないかと嫌がらせ捜査を繰り返した結果、斉藤の妹の結婚が破談になってしまうのだ。
逆上した斉藤は散弾銃を強奪し、警察署へ襲撃をかけるが、壮絶な銃撃戦の末、斉藤は権力によって鎮圧されてドラマは唐突に終わりを告げる。
シリーズは、このPartⅡでブレイクした勢いが加速していき、どんどんストーリーやスペクタクルな描写が過激になっていき『大都会 PARTⅢ』(1978年)辺りでは既に、「実在する東京で撮影されたマッドマックス」のようになってしまった。
「あの」石原慎太郎を縁故に持つ石原プロモーションは、この当時、日本テレビをポータルにして、『大都会』シリーズを生み出し大ヒットを飛ばしていたわけだが、それを快く思っていなかったのがライバルテレビ局のテレビ朝日であった。そもそもテレビ朝日は、その株の17%を東映がもっており、(一番はもちろん、朝日新聞社の25%)一方テレビ朝日も、東映の筆頭株主(19%)であり、ある意味、共存関係にあるテレビ局なのだ。なので、日テレをライバル視していたテレビ朝日が、共存会社の東映が日テレで大ヒットを飛ばしたことは忸怩たる思いでもあり、なんとしてでも『大都会』シリーズを、自社枠へ移籍させたいと画策した。
そこで、テレビ朝日はまず、倉本聰(『大都会 闘いの日々』(1976年)のメインライターでもある)が全話の脚本を手がけたジョージ秋山原作の時代劇漫画原作ドラマ『浮浪雲』(1978年)を製作して、石原プロとのパイプを創り上げた。この『浮浪雲』は、渡哲也と桃井かおりを主人公に、最終回には石原裕次郎本人も出てくる「石原プロの本気文芸ドラマ」であった。
そのドラマをワンクッションにして、テレビ朝日はとうとう「『大都会シリーズ』丸ごとの引き抜き」に成功したのだ。もちろんとりあえず、役名や配役、設定は微妙に変えてあるが、妹持ちの渡哲也がサングラスをかけて、スーツ姿でショットガンを乱射して、苅谷俊介や寺尾聰といった面子が脇を固めて拳銃を乱射するという画作りが、そのまんま(むしろスケールアップして)受け継がれたテレビ朝日念願の作品が『西部警察』(1979年~1984年)であった。