フィリピン サ・シチョウシャと安藤達己

前回は「安藤達己インタビュー 第五夜「安藤達己と金城哲夫と『怪奇大作戦』と」」

――私もライターをやっていて思うんですが、全てのメディアは伝わらなければ意味が無い。ちょうど『ウルトラセブン』(1967年)の頃に、カナダのHerbert Marshall McLuhanが提唱した「メディアはメッセージである(The Medium is the Massage)」という理論のように、やはりどんなに個人が自由に発信できる時代が来ても、その基本は変わらないと思うんです。独りよがりじゃ誰にも伝わらない、伝わらなければ発信しても意味なんかないんです。そしてその『伝える』という目的のためには、その手段が例えば映像作品や文章であれば、そこでの基本や基礎をしっかり身に着けることが、とても大事だと思うんです。

安藤 そうなんだよ。伝わるってこと大事なんだよ。だけど多くの場合はね、そもそも発信できない人達がいっぱいいるのが現実なのね。だからこそ、市川大河さんもね、あなたは今文章を使って『発信』している。そのことに凄く大きな意味があるんだよってことなんだよね。そしてその『発信』の中に、自分のアイディンティティを、込められるだけの物をやっぱり持ってなきゃいけないしね。だから僕も、いっつもブログを書く時に、何を見て生きてきたかとか、戦前満州で生まれて、いわゆる高級官僚の息子として育って、戦後引き上げてきて、そして食うや食わずの中をずっとやってきたんだけれども……。いろんな物を見てきた……。だから僕のブログの中に、それらの匂いがしなかったら僕が書く意味が無い。

――自分が安藤監督のブログ(既に閉鎖済み)を読んでいて一番心が振るわせられたのが、クリスマスの時の日記で、お孫さんから電話が来て「サンタさんがお爺ちゃん(安藤監督)の家に、間違えてプレゼントを置いていっちゃったの」と言われた安藤監督が、「よし探しておくよ」と約束して、プレゼントを買いに奔走して、お孫さんの夢を守るという日記だったんですが。それを読んで強く思ったのが、安藤監督は常に全力で、誰かに何かを残していけるかを、それは時代や職業と共に、『ウルトラセブン』という番組だったり、フィリピンの自然だったり、孫娘さんの夢だったりを守るために、そして安藤監督自身が発信したご自身だったりを、常に子ども達に残そうと、託そうと、全力で頑張ってこられていました。だから実はウルトラセブンというのは、その安藤監督の全力の人生の中の、ほんの一瞬の、でもやはりその時の全てであって、それは、セブン以外の安藤監督を成立させている、全ての要素と等価値だったんだなと、それを本当に強く思いました。そして大事なのは、それらの理念が行動で実践できているか。「子どもの夢を守ろう」「自然を大事にしよう」口先で言うだけなら誰でも出来ます。大人であれば、誰でもいくらかの力を持っているはずで、その力をちゃんと行動に注いでいるか、これはとても大事なことだと思います。さっきのお孫さんの話、関正子杯小中学生卓球大会の話、ダヴァオのフィリピン鷲の話。安藤監督はかつて描いたウルトラセブンの、本当の魂の部分を、全て行動に移して実践されているんだなと、やはり安藤監督の全ては地続きであるんだと、改めて今日は痛感しました。

安藤 うん……まさにそうでね。僕のやることはささやかだから。でもやらなかったら何にも起こらないんだよね。どんなちっちゃなことでも、出来ることからやることによって何かが起こる。だから、やるかやらないか、0か1かっていうのは凄く大切だと思うんだよね。例えば僕が大会長をやってる『関正子小中学生卓球大会』にしたってね。全国のどこを見たって、ちゃんとしたオリジナルのテーマ曲を、掲げて開催している卓球大会なんてどこにもないですよ。関杯だけですよ。皆それは本当はやりたいと思っている。でもそう簡単にはいかない。100万単位のお金がかかるからね、そういうのを作るには。だけど関杯はなんでそれが出来るかって言ったら、作詞だって全部出来ちゃう僕がいて、だから出来るんですよ。『テーマ曲が欲しいね』って言われれば、あぁいいよ、出来るよって。じゃあどうするの? って言ったら、僕が全部手配するからいいよっていう話だよ。僕がやればギャラかからないから(笑) そもそもあれだって、僕が書いた歌詞がまずあって、それに驚いた音楽やってる奴が、ぜひこれを使わせてくれ、曲を付けさせてくれってスタートしたわけで。そうやってやれる人間が動くだけで、経費がほとんどかからないで出来ちゃうんですよ。

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