そうか、沖縄なんだ。
ようやく僕は、その現実を受け容れた。

筆者が、子どもの頃から青年期を迎えるまでの間に、無軌道に、時にはわざと道を外すように選んでいた数々の作品は、全て、九州と共に沖縄という土地から発信されていたのだ。
もう自分の魂に抗うのはやめよう。
ならば、九州と共に沖縄を愛せば良い。
それからの僕は、年に数回は沖縄を訪れて、そこでの景色や風土や、文化や音楽や、そしてそこに生きる人と向き合うようになった。
日本本土にいるだけでは分からなかった日本の真実が、東シナ海を挟んで遠く見つめることで見えてきた。

中学生を終える頃に読んだ、佐々木守氏の『ウルトラマン 怪獣聖書』の意味が見えてきた。
幼い頃に違和感を抱いていた、『ウルトラセブン』伝説の最終回の名場面での、アンヌが放った「ダンはダンじゃない。『たとえ』ウルトラセブンでも」の「たとえ」の意味が分かってきた。

心酔していた富野由悠季監督が、ガンダムブーム当時インタビューで「登場キャラにはわざと戦時中の日本軍の兵器の名前をダブらせました。けれども、艦長の役割の少年にだけは『ノア』と付けたかった。そして主人公には、日本であり日本ではない語感の『アムロ』と名づけたかった」と語った意味もようやく理解できた。

この名作に関しては、今回は原作漫画の内容そのものにも、それを劇的に改変した映画版の話にも触れない。
この次に貼る「一枚」が、「ライター・市川大河」生涯で初の「プロの原稿仕事」であり、この映画への評価の全てだ。ウルトラマンだ、ゴジラだ、を愛してやまない人しか読まない雑誌の片隅で「着ぐるみの怪獣やヒーローだけをSFだと思うな。特撮を使わずともSF映画が日本にもあるのだ」を、アジテーションしてしまっている。
今あらためて読んでも、今の僕と芸風が全く変わっていない(笑)
どうか失笑しながら、お目汚しをお受け取り下さい。

隔月刊『宇宙船』1986年12月号 通算36号 表紙
上記『宇宙船』誌内で、筆者が初めてプロとして執筆した映画『ア・ホーマンス』紹介記事


こんな記事が一つぐらいあったっていい。
だって、「ここ」は他の誰でもない“市川大河の”公式サイトなのだ。
原作漫画に関しても、映画版に関しても、かならず改めて筆を執ることを約束する。
今はただ、「あの時代、『奇跡の瞬間』が起きたのだ。その『奇跡』を、まだ助監督だった時代の自分が、出入りしていたSF特撮雑誌の編集にねじ込んで、生まれて初めての『ビジネスとしての原稿』を書いたのだ」と、それをここに記しておくにとどめておきたい。

勘違いで、思い込みで、独りよがりの妄想なのは、充分分かっている。
しかし、あの年。1986年。
『ア・ホーマンス』という映画は、世界中で僕のためだけに作られた映画だとしか思えなかった。
それは、それから30年経った今でも、拭えない奇跡への信心である。

代替テキスト

追記 2018年1月7日 狩撫麻礼氏が逝去されました。享年70歳。ご冥福をお祈りいたします。

次回は「市川大河仕事歴 映像文章編Part5 ゲームライター・前「君は今日からスパロボマスターだ!」」

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

おすすめの記事