ちなみに、梶尾真治先生にも認めてもらったほどの「古参SFマニア」の大河さんだけど、実は年齢的には、萩尾望都先生の漫画版『百億の昼と千億の夜』は、ちょいとさすがに小学生にはあの内容は、リアルタイムではついていけず、萩尾先生の漫画に関しては、後にようやく高校の頃になって『11人いる!』『ポーの一族』を読んで唸ったくち。

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萩尾望都『11人いる!』
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萩尾望都『ポーの一族』

エロイカの青池先生もそうだけど、男性漫画の狭い枠では考えられないほど、24年組をはじめとした、少女漫画の持つ「弾力性」はすごかった。
外国の風習や民俗、文化などを漫画であそこまで「生々しい空気感」として描写する力は、少年漫画には全く存在しなかったからだ。

一方で、竹宮恵子先生に関しては、中学時代の先輩・薬師丸ひろ子先輩との付き合いで『地球へ…』なども読んだけど(理由は80年代のアニメ版を観て察しろ)、個人的には『私を月まで連れてって!』が大好きだった(後はむしろ、新井素子先生の『星へ行く船』シリーズのイラストとか)。

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竹宮恵子『私を月まで連れてって!』

『私を月まで連れてって!』は、超能力者少女と、二枚目宇宙パイロットとの、歳の差ラブライトコメディの形態を持ちつつ、アンソロジーとして、エピソード単位では深いテーマにも迫りつつ、基本的にはSFマニアのツボを付く「あるあるパロディ」満載な作品。
こう書くと、オタキングだのガイナックスだのの三流オタクアニメと同一なんだけど、なんでだろう『私を月まで連れてって』からは、そんな腐臭は一切しなかった。
これもまた、女性ゆえの感性が「オタクならわかってくれるよね」的胡散臭さを中和してくれたからだろうか?
この『私を月まで連れてって!』に関しては、いずれここで、改めて単独で切り込んでいろいろ書くつもりなので、今はこの辺で「次」に話を移す。

そしてまた高校時代は、筆者はパンクバンドをやりながら、自主映画を撮りながら、部活では演劇部に入っていたので(当時の彼女だった)部長や周囲の女子達と、当然のように、『ガラスの仮面』の回し読みをしていた。
美内すずえ大先生は、このままどこへ行ってしまわれるのであろうか?

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美内すずえ『ガラスの仮面』

むしろ、高校時代に読んで感動した、泣いたって漫画は、庄司陽子先生の『生徒諸君!』だろうなぁ。
年代的には、70年代の典型的少女向け学園漫画のお約束や、いろいろベタ過ぎるルーティンが溢れるありがちな漫画なんだけど、紆余曲折の大展開を、最初から最後までダレることなく、全てを乗り越えてみせた、疾走しきった先での、最終回の最後のページの「生徒諸君!」を叫ぶコマでは、やっぱ感慨深いものを感じるよね。

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庄司陽子『生徒諸君!』

まぁ、これをドラマ化しようとして原作者とモメまくって、タイトル変えてごまかしたドラマが、榊原郁恵主演の『ナッキーはつむじ風』(1978年)なのは有名な話。
後に改めて、正式に『生徒諸君!』は1980年に、同じテレビ朝日系列でドラマ化されたんだけど、こっちはやっぱり、どこか原作を意識し過ぎて窮屈で、退屈な仕上がりになっていたせいか、さして話題にもならずに尻すぼみで終わっていった感は否めない。
やっぱ『生徒諸君』は、沖田君が死んでを踏まえての、ラストの「生徒諸君!」でシメなきゃでしょう?

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