ネムの方が、今の自分より、必死に「今」を生きている。
自分はそんなネムと接し続けて「何か」を与えられることが出来るのか。
そう自分に問うたのかは分からないが、ネムの「儚い魂」の正体を見たゴローは、慣れ合うことを己に禁じ、あえてネムを突き放す。
ネムは「嫌われるようなことを、自分はしてしまったのだ」と自分を責めるが、同時に自業自得と自身に言い聞かせ、諦めようとした。
しかし、なにごともなかったかのように、ネムの親のラーメン屋に現れるゴロー。
安堵するネム。
おそらく二人の関係は、ここから改めて再出発していくのだろう。
今、仮定形で書いたのは、この漫画が(というか単行本が)ここでストップしているからだ。
本作品は月刊コミックビームの1996年5月号から1997年1月号まで連載され、単行本は1冊だけ出ていた。1巻には12月号分まで掲載されているので、実際の最終回だけが次巻に掲載される予定だったのだろう。アスキーから出されていた単行本には、ちゃんと巻数が「1」と表示されているので、連載が続けば2巻以降も出版されていたと思われる。
休載理由は、主に木崎氏側の問題とされているが、詳細は不明。
木崎氏自身、まだデビュー直後の連載であったため、モチベーションやクオリティコントロールが難しかったのかもしれない。
一方で、狩撫麻礼氏の側は、奥村氏との共犯関係がその後も一気に加速。
松田優作主演で映画化された『アホーマンス』でコンビを組んだたなか亜希夫氏との再コンビ作『迷走王ボーダー』などがヒットして、ネームバリューが上がったことを逆に自己嫌悪したため(この辺りがまさに狩撫麻礼漫画の主人公マインド)本作でも名前をカリブ・マーレイ表記にしたことをきっかけに、奥村氏と組んで、東京ローカル、ハーツ&マインズ、ラスト★パス等、次々とペンネームを刷新し続け、過去の経歴に囚われず、常に無名の一作家として勝負に出て、その先で『漫画サンデー』で、ひじかた憂峰名義で、松森正氏と組んで発信した『湯けむりスナイパー』が大ヒット。ドラマ化もされるブームを起こし、その実力が常に現役だという証明を刻み込み続けた。
ネムとゴローはその後どうなったのであろうか。
二人の「漫画を描く」ことでしか他人と繋がることが出来ない、儚くもたおやかな魂は。
木崎氏は、相当ナイーヴな人物であったことが、後年奥村氏によるコメントなどでもうかがえるが、アスキー版単行本に収録されているあとがきでは、木崎氏がこんなことを呟いている。
ヤバイよ ハラへってるのに食いもん口に入れると吐いちまうんだ リバースってやつ なんかつらい事あってサ 言えないけど 単車で事故った時も 盲腸になりかけた時も どおーってことなかったのにさ オレこんなにヤワだったかな マジでヤバいよ これ 心がくだけるってこんなカンジなんだ きっと
『少女・ネム 1』単行本あとがきより
そして木崎氏は、ふたたびネムの懸命な生きざまの続きを描くことなく、デビューしてから7年後の2001年3月に、逝去されたのである。36歳の若さであった。
一方の狩撫麻礼氏も、その後様々な漫画家と組んで、臨機応変にペンネームを使い分け、走り続けていたが、2018年に帰らぬ人となった。
ネムとゴローはきっと、空の上で再会したのであろう。
未完の物語はいつだってそうだ。それこそ冒頭で名をあげた『銀河鉄道の夜』もまた、未完ゆえに人々の心に刻み込まれ生き続ける。
ネムが何をしたかったのか。ゴローが何をされたかったのか。
それを紐解く手がかりは、もう残された単行本の中にしかない。
狩撫麻礼氏も木崎ひろすけ氏も、儚く、脆く、繊細だったのだ。
この、未完の一冊には、そんな二人がまるで劇中のネムとゴローのように、必死に懸命に、無言で手をつかみ合おうとするかのような「漫画」が、優しい線で描きこまれている。
狩撫麻礼 1947年東京生まれ。数々の漫画の原作を手掛け、社会を、現代を、闇を、人の弱さを、哀しみを原稿に刻み続けた男。
2018年1月逝去。享年70歳。