――これで気になったのは、当時ってオンエアを観ている暇はなかったんでしょうか?

平松 なかったですねぇ。(『エルガイム』オンエアの)週末の夕方五時半前後って、ヤバいんですよね。一番、いろんな仕事で動いていた時期で、東京の俳協ホールで公演をやってるときは、舞台の開演が六時からとかで、ギリギリ始まるから、そうすると、どうするかというと。今日は(オンエアを)観れるなって時は、メイクとか衣装とか全部先に用意済ませておくんですね。それで、テレビが女性の楽屋にしかないもんだから「あの、入っても大丈夫ですかっ!?」って言って「テレビだけ見たいんで! 着替えてるのとか見ませんから!」ってなんとか言って、女性用の楽屋に入れてもらって、オンエアを、それこそ「何回か」だけは観れたんです。ただ、公演がない時は、土曜日五時半っていうのは、バイトしなきゃいけない時間帯だったんで、ほぼ観れなかったですね。

――当時アニメ業界トップ人気企業、日本サンライズの看板番組『重戦機エルガイム』の主役「でも」、バイトされていたんですか。

平松 してました。だって一本主役演ったって、そんな、声優のギャラなんてたいしたことないし。

――当時は、特にそうでしたね。確かに。

平松 当時というか。今も変わらないですよ。イベントとかあって連れまわされている間は、全然裕福なんです。イベントギャラっていうのがあるんで、それで食事代も全部出るから。ただ、(アニメの)ギャラは三か月以上遅れて入ってくるので、演っても、三か月は食い繋がなければいけないっていうのがありましたが、そんなこんなですね。

――っていうことは、じゃあ、『エルガイム』の放送の頃、まだビデオデッキは、お持ちになってらっしゃらなかったってことなんですか?

平松 ないです! ないない! 『エルガイム』の放送が終わるくらいで買ったんですけど、ビデオデッキじゃなくって、レーザーディスクだったんですよ。ビデオは持ってないくせに(笑)。ビデオは劇団にあるから、劇団でなんか見れるからいいやって。じゃあ、自分の部屋には、もうちょっと高画質なレーザーディスクが欲しいって言って、買ったような気がします。

――ガチモンの映画マニアじゃないですか!

平松 いえいえ、そんなことないです(笑)。

――レーザーディスクで最初の頃は、どんなタイトルを買っておられました?

平松 レーザーディスクで最初に見たのはね、チャップリンです。チャップリンの十枚ぐらいの作品集が出たんですけど、それを買って観ました。レーザーディスクでしか出ないとかが謳い文句だったんですが、数年後には、ビデオでちゃんと出てましたね。

――今でも、DVDでは出てなくて、レーザーディスクでしか観れない映画とか、結構ありますよね。

平松 でも、レーザーディスクはソフト一枚買うのに、かなりのお金がかかったから、あの頃レンタルビデオ屋さんに(レーザーディスクが)あったんですよね。なのでそれで観ていたような気がします。

――そう考えると、平松さんは本当に、すごくハングリーな状態で『エルガイム』の一年間を駆け抜けたっていう感じですかね。

平松 そうですね……。もう生活も、そういう状態だったし、あの『エルガイム』やる時も、ただひたすら必死でやってたんで、プランニングとか本当に、お前してたのかっていうぐらい必死ですね。台本が当然当日渡しなんで、当日もらって、本編観るから、三十分ぐらいでその日のイメージを作って、喋り始めるっていう事をやってたんで、もう本当に必死ですよね。

――平松さんはYouTube『私道』で、「最初に台本もらった役を作って(スタジオに)行っちゃうと、怒られてしまった」という話も、藤野貞義(音響)監督に「初めての戦闘なのに慣れ過ぎてるから、そうじゃないって第一話で言われた」ってことを、仰っていましたよね。

平松 はい。役を作り過ぎて、(『マジンガーZ』(1972年)の)兜甲児とか。いろんなものが(ダバの役作りに)入ってたんでしょうね(笑)。

次回は、『重戦機エルガイム』の頃の、総監督・富野由悠季監督の話に関するエピソードが盛沢山! またもや『エルガイム』ファンは必読の回になります!

SEE YOU AGAIN!「平松広和インタビュー・6富野由悠季とダバのラストと」

『声優・平松広和の私道 Mk-2』(Voicy)

『平松広和の私道』(YouTube)

取材協力 (株)ガジェットリンク

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