平松 僕は、俳協の中で一度俳優理事って、責任を持たされるところに行っちゃったんですけど、もっと自由になりたいなぁと思って(俳協を)抜けたんです。それで、抜けた後を一人でやっていくと、いろんなことで各事務所さんとお話をするのに、個人名だとほとんど同人扱いになってしまうから、屋号を持たなきゃいけないっていうんで『ガジェット』とつけたんです。映画で『GO!GO!ガジェット』(1999年)っていう。機械仕掛けの刑事の映画があったんですが、それが好きだったんで、(自分の屋号にも)『ガジェット』ってつけて「『ガジェット』の平松ですけど」っていうことで、個人でやってたんですね。個人でやってて、意外と手広くゲームのブッキングだったり、制作進行だったり、収録だったり。また、ラジオの収録だったりとか、いろんなことをやるようになったんですね。そしたら、全く自分のスケジュールが把握できなくなっていってしまったという(笑)。次から次へといろんな仕事があって、でお金も、どこでどういう風にこう動いてるのかが分かりづらくなってきて、このまま行くと、やばいことになるんじゃないかなっていう不安を感じてる時に、その当時は友人だった仲間から、飲みに誘われてね。その時に「いやぁ、もうどうにもならないんだぁ」って思いが、自分の中にあってね。もう一人、仲間というか同志みたいな友人にも気持ちを打ち明けて、「あのさぁ。手伝ってくんなぁい?」と気軽に声をかけてみたんです。そしたら、その時の二人が「やるなら、ぐずぐずでやるんではなくて、きちんとした形でやりましょう」っていうことで、一気に作り上げたのが(株)ガジェットリンクっていう会社なんです。なにか「こういうもの」を作って、目指すものがあるんではなくて、まずはやる。考えるのは後送りでいいから、まずいろいろな物を作る。そこから始まりましたね。本当に、話し合い始めて半年ぐらいかな。一気に、それぐらいで(株)ガジェットリンクができました。

――今の(株)ガジェットリンクには、白石稔さんとかが集まられて、実力派の声優プロダクションになりつつありますけど、基本、所属声優さんは、平松さんご自身や、先ほどお話に出て来たお二人が、それぞれ個々に交渉して所属してもらうという感じでしょうか?

平松 いや、全然。基本はオーディションです。これは偶然なんですけれども、ガジェットリンクを興した2009年に白石稔君がたまたまフリーになっていたので、声をかけてうち(ガジェットリンク)にきてもらったんです。声をかけたのは、白石君だけです。だから、ガジェットリンクを興すにあたって、あの子がいいとか言って引き抜いてくるとかは一切なかったですね。全部オーディションで選んで入れていますね。

――すごいストイックなプロダクションですね。

平松 そうですね、本当にストイックなプロダクションですね。

次回は、平松氏による、現代の声優業界の変遷と「アイドル声優」という存在についての私見をお伺いします。声優とはそもそもなんであったのか? 平松氏の言葉で語りかけてくれます。

SEE YOU AGAIN!「平松広和インタビュー・11声優業界編成とアイドル声優と」

『声優・平松広和の私道 Mk-2』(Voicy)

『平松広和の私道』(YouTube)

取材協力 (株)ガジェットリンク

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