2008年8月に、惜しまれつつ亡くなった、日本の稀代なギャグ漫画家・赤塚不二夫氏。
この偉大なる人物に関しては、タモリ氏を初め様々な方々が語られているし、自分も一応、トキワ荘漫画世代というのもあって、いろいろ語りたいこともあるんだけど、多分、この方に関して語らせれば、自分なんかよりももっと相応しい方は、好事家の中にはたくさんおられると思うので、自分はあくまで自分らしい切り口で、この偉大なる表現者に関して、思い出したことをいくつか語りたいと思う。
まずは、赤塚氏と『ウルトラマン』(1966年)に関して。
『ウルトラマン』はもちろん、自分が語るメインテリトリーなんだけど、その歴史を語る上で、実は赤塚氏の名前は欠かせないのであったりする。
いや、赤塚氏がウルトラマンの漫画を描いていたとかって話ではない(むしろ“そのエピソード”は、楳図かずお氏のものだ)。
赤塚氏は「シュワッチ」という掛け声の文字化の元祖なのである。
皆さん、『ウルトラマン』を子どものころから見ていて、素朴な疑問を持ったことはないだろうか?
実はウルトラマンは「シュワッチ」と叫んだことはない。
基本は「ヘヤァッ!」とか「アワッ!」とかの、言葉にならない掛け声やうめき声が基本だし、空へ飛び去る時の掛け声も、普通に聞き取れば「シュワキュ」と聞こえる。
しかし、いまや日本の国民の大部分は、ウルトラマンの掛け声といえば「シュワッチ」だと思っているし、シュワッチといえばウルトラマンだと、ほとんどの人が思い込んでいる。
では、その「シュワッチ」という解釈はどこから始まったのか?
あのウルトラマンの掛け声を「シュワッチ」という五文字で、最初に表現したのは誰なのか?
実はそれが、赤塚不二夫氏だったのである。
赤塚氏の伝説的な名作漫画に『天才バカボン』というのがある。
赤塚氏の名を知っていて、この名作の存在を知らない人はいないと思うが、その歴史的な漫画の始まりにおいて、これから生まれてくるだろう赤ちゃん(ハジメちゃん)の名前を何にするかという理由で、バカボンとバカボンパパが喧嘩するシーンで、そこでウルトラマンのまねをして「シュワッチ」と叫ぶコマがあり、おそらくシュワッチという文字表現は、これが最初ではないかと言われている。
確かに、本当にそれが最初かと問われたら、その辺はさすがに、自分には真偽は定かではない。
このバカボンの話は『ウルトラマン』の最終回『さらばウルトラマン』と、ほぼ同時に発売された少年マガジン1967年4月9日発行号に掲載されたものであり、そこまでに『ウルトラマン』は役9ヶ月の放映期間があったのだから、それまでの放映中の何かの出版物や雑誌で、「シュワッチ」という擬音が活字で書かれていても不思議はない。
しかし、自分の知るところでは、これが元祖であり初である。
国民的なお化け番組のヒーローの掛け声の表記を、国民的なギャグ漫画が決めてしまったというのは、面白い組み合わせではないかと思い、自分はこの説を支持している。
実はこの説は、2008年春先にNHKで収録された『BS熱中夜話 ウルトラマンナイト』こちらのスタジオ収録でも、筆者がコメントで述べたのであるが、とある事情(笑)で、自分のコメントは徹底的にカットされる事情があり(後にその事情とやらを、担当ディレクターが泣きながら解説してくれた)それはやっぱり放映では流されなかったのだけど、そのとき、収録に参加していた「ウルトラを文学で研究して、教育用材として活用する」を目的としたグループの一人の方から、収録後「あなたのあの説は間違っています。ウルトラマンの掛け声を、初めてシュワッチと表記したのは、永井豪先生の『ウスラセブン』という漫画です。偉そうに評論している身でありながら、そんな基本も知らないんですね」と、ありがたい(笑)メッセージをいただいたりなんかしたもんである(笑)