物語は、「過去に起きた、一つの殺人事件」から始まった。
事件は、大人達の色や欲、金などが絡んだ、ありきたりの事件に見えたが、いくつかの謎を残しつつ、風化していこうとしていた。
やがて一人の女性の思春期から、この物語が転がり始める。少女の名は雪穂。
雪穂は、表層上は明るく真面目だが、その表情や行動の端々に「影」が見え隠れする。
「その影」の中では、実は影に閉じ込められた、いや、閉じこまざるを得なかった一人の少年がひっそりと時を重ねていて、時折その姿を少しだけ見せては、少女の周囲に奇妙な事件を生み、その奇妙な事件は、結果として必ず少女をなんらかの形で助ける。
少女の「影」とは何か。その影に巣くう少年は何者か。そしてその「影」はなぜ発生し、なぜ彼女を守るのか。
冒頭で起きた事件と、何か関わりがあるのか? むしろ、少女の年齢で関わりがあり得るのか?
この物語がミステリーの体裁をとっているのは、そこゆえである。

むしろ、「この実験」を行うにあたって、神である作者の東野圭吾氏が行いたかったのは「高度経済成長期、男性サラリーマン社会を中心に、娯楽の王道として君臨した、大藪晴彦的ピカレスクロマンhard-boiledを、まずは時代設定をバブルに置き換えて(物語世界は、1973年から1992年までを描いている。実際の執筆はバブル崩壊後)、あとはただただ、主人公の性別だけを単純に、男から女に置き換えるだけ、という最小限の条件変更で、化学反応を起こした時には、いったいどんな文学が産み落とされるのか」への、我が身を賭した実地検証であったのだ。本当に“それだけ”でしかなかったのだ。

コンテンツプロモーター、もしくはプロデューサーにとって、実は最大の醍醐味は「今まで誰も思いつかなかった、誰もやったことがなかった、過去の大ヒットコンテンツを、必要最小限だけ変化させて(多彩に変化させてしまうと、無駄な多様性が生まれ過ぎて、結果を確保できなくなるだけではなく、実験の意義と条件が不明瞭になってしまう)、変化前の大ヒットと同等か、それ以上の数字を、上げられるのかどうか」への挑戦と、成功達成感だったりする。

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